色々と | ワールドサッカー狂喜乱舞

色々と

最近週に2、3回しか更新してないな

頑張って毎日更新したいのだけど


こないだの週末、先輩の結婚式があった

社会人サッカーの先輩で27歳、相手の人27際で名古屋の人らしい

どうやって知りあったんだか


桜木町のパシフィックで披露宴を行った後

ランドマークで二次会

受付やら雑務やらをこなしたのだが、メインは

場を盛り上げる出し物

毎回先輩の結婚式の二次会でやっていて、今回で5回目

今まではモーニング娘をやっていたのだが

今回はなぜかピンクレディーのサウスポー

前日の深夜、漫画喫茶で練習して本番に臨んだ

場の雰囲気もよく、そこそこ盛り上がって一安心


その後のビンゴゲームでなんとipodをゲット

512MBと容量は少ないが

ただでipodもらえるとはなんともラッキー


といったわけで、週末に予定されていたフットサルの練習や練習試合に参加できなかった

入ったばかりなのにまずいなー

まぁでもうちのチームには奇跡のフットサルマジシャンHORII氏がいるから問題ないか


トラックバックステーションの特集で好きなサッカー選手取り上げているから

ちょっと一言

前々からレコバを応援しているということはこのブログでいっているので他の選手


ジュリー


  左のちっちゃいおじさん


詳細:


ボジョレー地方の小さなクラブでサッカーを始め、1990年にリヨンの育成機関に入団。94-95シーズンに認められトップ昇格、1995年1月21日カンヌ戦でデビュー。翌95-96シーズンから右サイドの主力選手として36試合に出場4得点、96-97シーズンは37試合に出場16得点を挙げるクラブは高い順位とは行かなかったが、ギー・ステファン監督下、記憶に残る活躍をした。1998年1月に93-94シーズンまでリヨンで監督を務めジュリーを高く評価していたジャン・ティガナが監督をしているASモナコに移籍。

ダヴィド・トレゼゲ、ティエリ・アンリ、ヴィクター・イグペパの3トップの下からサポートする右のハーフとして活躍、アンリがユヴェントス に移籍をすると自らウイングの位置に立つこともあった。

99-00シーズン、クロード・ピュエル監督下、マルセロ・ガジャルドを中心とした素晴らしい中盤を右ハーフとして形成し優勝を果たす。しかし、得点王だったトレゼゲが抜けた01-02シーズン、自身は30試合に出場と気を吐くも、11位と低迷。

新監督にディディエ・デシャン を迎えた01-02シーズン、キャプテンに任命され活躍を期待されたが、ケガで11試合の出場に止まりチームも15位に終わった。復活した02-03シーズン、ルーカス・ベルナルディ、ラファエル・マルケスと優秀なディフェンシブハーフに支えられ、左サイドのジェローム・ロタン と共に中盤の右としてドリブルからのサイドアタックを武器に11得点も決めチームを2位の順位に押し上げた。03-04シーズン、チャンピオンズリーグとの併用の中、フェルナンド・モリエンテス の1トップに高い位置で攻撃に絡む器用な活躍を見せ、決勝トーナメント準々決勝、レアル・マドリード戦ではレアルをたたき落とすヒールキックでの見事なシュートなど、大きな活躍を見せ、決勝に進出。ところが決勝ではFCポルト、GKヴィトール・バイアとの接触によって前半早々に交代してしまい、チームも3-0と敗戦。リーグアン も最終節にオランピック・リヨネーに逆転されてしまい2位に終わる。

2004年、スペインのFCバルセロナに移籍、バルサでは4-3-3の右ウイングとして活躍。速い展開のリーガ・エスパニョーラ の初年度において能力を発揮、ドリブルで切れ込んでシュート、FWとしてポジションを巧く見つけてシュートなど29試合に出場11得点と、リーガ優勝の一因となった。

フランス代表としては、2000年3月29日、スコットランド戦でデビュー。モナコでの活躍が認められ2003年、コンフェデレーションズカップのメンバーに選ばれ、2004年の欧州選手権のメンバーにも選ばれたがこちらはケガによって辞退せざるを得なかった。レイモン・ドメネシュ監督が就任して以降、度々レ・ブルーの一因として出場している。


ルドビク・ジュリー

http://antiglapectre.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%83%ab%e3%83%89%e3%83%93%e3%82%af%e3%83%bb%e3%82%b8%e3%83%a5%e3%83%aa%e3%83%bc?kid=76#p3 より


163cmの小さな体で相手ディフェンダーを切り裂いていく姿は

かなり爽快

ロナウジーニョやエトーばかりが注目されているが

バルセロナの右サイドは要チェックだな