素敵な言葉

素敵な言葉

偉人の残した名言・格言や、身近な人から聞いた素敵な言葉、
素敵な歌の歌詞などを自分の経験や思いとともにご紹介しています。


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仮に人生を80年とすれば、約3万日。
一日を1ピースとすれば、
人生は3万ピースの巨大ジグソーパズル。
人生という広大なジクソーパズルを完成させるためには、
明るいピースが必要なのと同様に、
暗いピースも必要だ。

(千田琢哉 著
 「死ぬまで仕事に困らないために
 20代で出逢っておきたい100の言葉」 より引用)


かなり大胆に断定的な表現が使われているものが多く、
紹介されている100の言葉のうち、3分の2ぐらいは、
「そうかなぁ?」と思うものでした。

しかし残りの3分の1ぐらいは、
「なるほど」
「たしかに」
と思える言葉で、上でご紹介したものを筆頭に、
おもしろい「たとえ」が使われているものもあって、
この類の書籍としては、非常に興味深く読むことができました。

僕は残念ながら既に30代ですが、
まだ20代の方に、お勧めしたい一冊です。

祖父が、明日から、手術のために入院します。
そう、 この祖父  です。
ちなみに、86歳になります。
周りの人、たとえば祖母や父などは、
「年齢的にも、手術なんて」という意見が大半でした。

でも本人は、とにかく「手術する」の一点張り。
自分の信念を持ち、妥協をしないことには定評があります。
そして、70歳を過ぎてからパソコンを初めたほどの前向きさ。
僕にとってはほとんど唯一の、尊敬できる人です。
先日、祖父の家に行った時、
部屋に僕だけを呼び、こう言いました。

「手術して治して、またアメリカに旅行するぞ」


祖父とは、祖父が70代の時に2度、一緒にアメリカを旅行しました。
その時は足腰も元気で、2~3時間歩きっぱなしでも平気でした。
ペットボトルのミネラルウォーターを片手に、
重い一眼レフカメラを首からぶら下げて写真をたくさん撮りました。
祖父の中でもその時のことは余程印象的だったようで、
いまでも会うたびに、その時の話題がでます。

今は、足腰がだいぶ弱っています。
家の中でも杖を使うようになりました。
それでも、祖父が退院後、
「アメリカに行きたい」
と言ったら、どれだけ僕が忙しい時期であろうと、
絶対に、なにがなんでも、僕が連れて行こうと思っています。


いいひとだけど、ほかのひとのことを、
てんで気にもとめてないような友だちは、
ぼくは、いらない。

自分で自分がいやにならないようにするために
いいひとでいるような友だちも、
いらない。

(「ムーミン谷の名言集」より引用)


まるで、自分のことを言われているような気がしました・・・。

人間の直感には、
どんな力があると思いますか?
あなたは自分の直感を信じますか?

直感は、あなたの過去の経験と
DNAのデータからはじき出される最高の知恵です。
それは”ひらめき”という形でやってきます。
思考との区別がつくようになるまで、
直感を頼りにどんどん動いてみましょう。
しだいに直感が冴えてきて、
決断するのに、もう迷わなくなりますよ。

(宇佐美百合子著 「人生を変える100の質問」より引用)


そうなんですよね。
経験を重ねた上での直感は、
恐ろしいほど正確に、
当たってしまうんですよ。

悲しいぐらい。


窓の外を見たり、なにかほかのものを見るとき、
自分がなにを見てるかわかるかい?
自分自身を見てるんだ。
ものごとが、美しいとか、ロマンチックだとか、
印象的とかに見えるのは、
自分自身の中に、美しさや、ロマンスや、
感激があるときにかぎるのだ。
目で見てるのは、
じつは自分の頭の中を見ているのだ。

(沢木耕太郎著「旅する力」より、
 引用元:フレドリック・ブラウン著「シカゴ・ブルース」青田勝訳)


美しい風景など、なにかを見て感動するときは、
自分の心が「感動したがっている時」と言えるかもしれません。
また、「感受性豊かな状態」と言うこともできます。

例えば春、満開の桜を見て自然に涙が出てしまうなど、
それはただ美しさに感動しただけではなく、
その景色を眺めながら、
何かを想うことによるものなんだと思います。

景色に限らず、例えば絵画などの芸術、映画、物語、
いやむしろ、日常のなんでもない事柄にさえ、
意味を感じてしまうような状態。
それは、自分の頭の中に、
なにか大きな特別なものが存在している時なのでしょう。


歌でもそうです。
普段は気にもしなかった唄の歌詞が、
なんだか自分の状況や心境に合致しているように思えたり、
突然思いもよらぬ形で心に響き、
なにかを気付かされることもあったりします。

このような時のことを、単純な言葉で表すなら、
「心が敏感な時」
という言葉がしっくりくる気がします。

何かをうまく語ることは、
何かをうまく描くことと同様に
難しくもあり面白いものだ。
線の芸術と色の芸術があるように、
言葉の芸術だって
それより劣るものじゃない。

(「座右の銘1300」 フィンセント・ファン・ゴッホ ”ゴッホの手紙” より引用)


僕は絵を描くことが、人間的な欠陥と言っても良いほど、苦手です。
美術・芸術的なセンスのカケラもなく、
絵画のみでなく、デザイン、写真などもからっきしダメです。
また、何かを組み立てたり創ったりする、技術的なことも全般的に苦手です。
ようするに、不器用です。

芸術的な視点で物事を見ることができる方のお話を聞くと、
どうがんばっても理解できない歯がゆさと、
その方が、例えば他の人とは視点を共有・共感し合えているということに、
言い表しようのない嫉妬というか、
努力の及ばない部分があることに、悔しく思います。
「僕とは分かり合えないのかな・・・」と、
悲しく思ってしまうことも。

そんな僕も、「言葉」を使うことに関しては、
得意とは言いませんが、「好きだ」とは思えます。

言葉を磨くことによって、
僕の芸術的なマイナス部分を補ってくれるといいなと
思わずにはいられません。

人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。
恋愛もチャンスだ。
としたり顔して教える苦労人が多いけれども、
私は、そうではないと思う。
~~~
少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。
私はそれを、意志だと思う。

(「座右の銘1300」 太宰治”ヴィヨンの妻” より引用)


ここで使われているチャンス(chance)とは、
「機会」とか「好機」といった意味ですね。
辞書によっては「偶然の出来事」「思いがけないこと」
と書かれているものもあります。
いずれにしても、
chanceは、opportunityに比べて
「突然性」や「ラッキーさ」が加味されているのでしょう。


そう考えると、やはり太宰治がおっしゃるように、
恋愛については、機会とか好機、運と言うよりは、
自身あるいは相手の「意思」によるところが
間違いなく大きいでしょう。


でも。
僕はやっぱり、恋愛も「チャンス」だと思うことにします。
だって、僕の持っている辞書にはこうも書いてあります。
なんと、ここでもまたこの言葉にお目にかかるとは・・・。

chance=巡り合わせ、運命

Missing


(歌詞:久保田利伸 歌:久保田利伸)


言葉にできるなら少しはましさ
互いの胸の中は手に取れるほどなのに
震える瞳が語りかけてた
出会いがもっと 早ければと

I love you 叶わないものならば
いっそ忘れたいのに 忘れられない 全てが
~~~
I love you 僕だけの君ならば
この道を駆け出して 逢いに行きたい 今すぐに
I miss you 許されることならば
抱き締めていたいのさ
光の午後も 星の夜も



「もっと早ければ」とは、思いません。
出会えたことに、感謝しています。

「いっそ忘れたい」とは、思いません。
忘れられないとは、強く思います。

叶わないものなら
許されることなら
せめて永遠に語らう夢を見ていたい。

そんな気持ちを、どう名付けましょうか。

それが大事


(歌詞:立川俊之 歌:大事MANブラザーズバンド)


さんざんわがまま言った後
あなたへの想いは変わらないけど
見えてる優しさに時折負けそうになる

ここにあなたがいないのが淋しいのじゃなくて
ここにあなたがいないと思うことが淋しい

負けないこと投げ出さないこと
逃げ出さないこと信じ抜くこと
だめになりそうな時 それが一番大事
~~~
今は遠くに離れてる
それでも生きていればいつかは逢える
でも傷つかぬように嘘は繰り返される

ここにあなたがいないのが切ないのじゃなくて
ここにあなたがいないと思うことが切ない
~~~
負けないこと投げ出さないこと
逃げ出さないこと信じ抜くこと
涙見せてもいいよ それを忘れなければ


90年代前半、僕が高校生だった頃の名曲です。

例えば好きな人と、
「一緒にいないと寂しい」と思うのは、当然です。
しかしそれ以上に、「何故一緒にいられないんだろう」
と考えてしまうことで、余計に寂しく、切なく感じてしまうことも。
今では(90年代前半には一般的でなかった)メールなど、
離れていてもいつでも繋がることができる手段があります。
しかし、文章や言葉をどれだけ駆使しても、
思っていることが上手に伝わらずもどかしいなんてこともあります。


「一緒にいたら、もっとちゃんと話し合えるのに」
と思いながらも、諦めてしまったり、
自分の感情を隠そうとしてしまうこともあります。
ある種の「自己防衛」とも言えます。

だけどそんなことをしても、何も解決しません。
逃げることと、守ることは、まったく違います。
「自分を守る」ってことは、
「自分らしくあること」だと思います。


努力して作った素敵な笑顔より、
自然に出てしまう微笑みの方が、絶対魅力的です。

大事なことは、自分らしくあること。

そう思います。

恋愛は、出会うものじゃない。
気づくものだ。


(中谷彰宏さん 「読むだけで人生がうまくいく本」 より引用)


別に人生に悩んでいるというわけではありませんが、
中谷さんのライトテイストな本は、つい手にとって立ち読みしていると
自宅に買って帰ってゆっくりと読みたくなってしまいます。


僕の友人で、自分は年中、絶えず「恋愛中」だと豪語する男がいます。
そんな彼に、
「よくそんなに”出会い”があるね」
と言ったことがあります。

彼は特別出会いが多いわけではなく、一つ一つの出会いを
恋愛に(交際にではなく、あくまで「恋愛」に、平たく言えば「片思い」に)
結びつけることが当たり前なのだろうなと思います。

「恋愛中」の人は、それがたとえ片思いでも、
イキイキとして見えますよね。

ここ何年もの間、恋愛どころか片思いにも縁が無く、
彼を見ていると眩しくさえ思える今日この頃です。