「徳川家康替え玉説」を考証します。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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歴史上の有力武将には「替え玉説」が付き物でして、戦国時

代を制してトップに立った徳川家康にも、やはり根強い「替え

玉説」があります。

 

その理由となっているのが、まず「関ヶ原の戦い」を機に家康

の子供に対する態度や女性に対する好みが著しく違っている

ことが、まず挙げられています。

 

家康はそれまでに生まれた子供に対して冷たかったのが、そ

の後で生まれた子供に対しては優しくなりました。

 

また、それまでは年増の女性が好きだったのが、以後は若い

女性を好むようになっています。

 

更に、「関ヶ原の戦い」の戦いで勝利した後、家康は将軍の座

を秀忠に譲り、駿府城に籠りました。ただし隠居したのは表向

きで、裏から秀忠を操る形で大坂の陣を指揮したことになって

います。本当に指揮していたのか、実は影武者を置き、家康は

健在であるということを相手にアピールすることで、多大なプレ

ッシャーにもなります。裏を返せば、すでに死んでいたというこ

とです。

 

まあ、一理はあります。しかし人間は、変わる動物です。まして

「君子豹変す」という言葉がある通り、優れた人間ほど考えやや

り方を巧みに変えるものです。

 

それに、家康のそれまでの生き方を考えても、堂々とトップに立

って世の中をグイグイ引っ張るよりも、参謀的、陰の実力者的

立場で巧みに策を立てる方が向いている気がするので、隠居の

立場で院政を敷くというのも家康らしい気はします。

 

なので「徳川家康替え玉説」に関しては消極的立場なのではあ

りますが、もし「替え玉説」が本当であれば面白いという気持ちも

あります。

 

そして実は、ドラマCD『風水巫女・関ケ原編』では、徳川家康の

本人と影武者の両方(2役)をやらせてもらっております。よろしく

お願いします。なんて、最後は宣伝になってしまいましたが、こ

の話題で宣伝しないわけには行きませんね。ぜひ、聴いてくだ

さい。心を満足させていただけるはずです。