鎌倉時代後期に急成長した資本主義経済の中心を行ったのは僧侶たちでした。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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1285(弘安8)年、それまで重農主義を推し進めて商人

たちの経済活動にブレーキをかけていた、鎌倉幕政の中

心人物の安達泰盛が、平頼綱らの襲撃によって、命を落

としてしまいます。


平頼綱は重商主義者で、商人や廻船業者らとも積極的に

結びつきを強めました。これによって日本は、完全に資本

主義経済に染まっていったのです。


頼綱が支援したものの1つに、禅・律僧たちの貿易活動が

ありました。


この頃の貿易の相手としては、朝鮮半島や中国大陸は勿

論のこと、東南アジアや北東アジアまで及んでいました。

日本からは砂金・水銀などの地下資源に加え、織物や刀剣

類を輸出。陶磁器、銅銭を大量に輸入していました。


こうした貿易活動に深く関わっていたのが、禅・律僧だった

のです。


何故僧侶が貿易活動を行なうのか?それは、彼らが日本を

代表する知識人だったからです。アジアで当時ほぼ公用語

となっていた中国語を話せた上に、知識や教えの力で他国

の人たちの尊敬を得ることができ、それが日本の評判や信

用を高めました。


また、諸外国の文物、芸能、書籍などを大量に日本に取り入

れることになるのですが、それらの目利き、価値判断にも長け

ていたようです。


ということで、鎌倉時代後半の僧侶たちは、国際知識人とし

て活躍。新しい歩みを引き寄せる原動力となったのでした。