戦国時代、日本は実は世界一の軍事大国だった。 | 山科薫マニアックな世界を楽しみましょう

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戦国時代末期、つまり豊臣秀吉によって全国統一されようとする時、
世界を見渡すとイスパニア王国という国が隆盛を誇っていました。
この国はヨーロッパ最強の軍事力と経済力を誇り、南米やアジアに
も植民地を多数獲得し、まさにやりたい放題の世界帝国だったのです。

そんな国ですから、当然資源と人材の豊富な日本にも目をつけます。
現地調査及び国民の洗脳を目的として、まずは多くの宣教師を日本に
送り込んで来ました。

イスパニア側の狙いとしては、布教によって多くの信者を獲得し、そ
のキリスト教信者たちを操って叛乱を起こさせ、その隙に乗じて本国
から侵略軍を送り込むというものだったそうです。

しかしそれが、頓挫した。作戦をイスパニア王国が中止したのは、何
故か。一つには、その作戦計画が秀吉や徳川家康に読まれたというの
もあります。しかしもっと大きな理由は、怖気づいたからなのです。

彼らは、日本の兵力、軍事力に、脅威を感じたのでした。まず、その
鉄砲の数です。鉄砲は、元々は輸入によって日本にもたらされた物で
すが、日本人特有の研究熱心さですぐにその仕組みが解き明かされ、
自ら製造を始めます。

手先の器用さ、技術力がこれを後押しし、各地で大量生産が進み、関ヶ
原の戦いでは、東西両軍を合わせて3万艇の鉄砲が使われたとされて
おります。日本全体の鉄砲の数を合計すると、6万艇くらいと予想さ
れ、これはイスパニアのみならずヨーロッパ全体の合計と同数以上に
達していたようです。しかもその性能も、世界有数でした。

また、造船技術は進んでいなかったようですが、アジアに多数の兵力
を送り込むだけの力はありました。イスパニアの代表的な植民地で貿易
の拠点でもあったルソン(現在のフィリピン)を攻め込むことは充分に
可能とされていました。

そして兵力、動員できる兵士の数ですが、つい今しがたまで戦国時代
だったのです。だから、数自体は60万人くらいかそれ以上は見込め
たと思われます。しかも、全国統一によって、バラバラだったものが
一つにまとまりかけていました。

この戦い慣れした60万人の兵士たちの目標がいっせいに海外に向け
られ、ルソンを始めとするイスパニアの植民地に向けられたら、どう
なるか。しかも、世界一の鉄砲所有数とその性能という後押しもある
のです。

しかも、豊臣秀吉が朝鮮出兵した際、数千の島津軍が20万の明・朝鮮
連合軍を撃破したというニュースが、ヨーロッパ全体を駆け巡っていま
した。

ということで、イスパニアの出した結論は、「計画中止」でした。日本
と戦った場合、惨敗してアジアの植民地を全部奪われる。というもので
した。

そのイスパニアの計画の頓挫は、日本側にも何らかの形で知ることとな
りましたが、尚も警戒の手は緩めず、「キリスト教禁止令」が出された
わけです。