手術が始まった。
手術室に向かうオヤジを見送って我々は病室のある階のロビーに集合していた。
これといってすることもない。
手術前の、説明というのは、家族の不安を煽るような話だ。
要するに、上手くいかなかった場合を想定した話である。
俺は医者でもないし、こうなった以上は任せるしかない。

通常でも5~6時間はかかる手術だそうだ。
そして、事前の説明の段階で、やはり東北大の放射線医師が言っていた
放射線性の肺炎がみられる、とのことだったが、昭和大の食道チームはGOという判断をした。
わかっていたこととは言え、では何故炎症がでると予見した時点で
何の手立ても講じなかったのか?という、東北大の医師の杜撰さに腹立たしさを覚える。

手術が順調に進んでいるかすらわからないまま
時間だけが過ぎ去って行くのだが…
この時、家族は何をすればいいのだろう?と、今でも思う。
祈ればいいのだろうか?
執刀しているのは、神ではない。
GODHANDではあるが、人間である。
人間に祈る??おかしな話だ、などと思っていた。
午前中に始まった手術は、何の情報もないままに、正午を過ぎた。

一応、9階ロビーに待機させられている状態である。
何らかがあった場合、そこに連絡がくることになっている。
俺以外の人間がそこにいることを確認し、外へ昼食をとりにいった。
さほどの空腹感はなかったが、ここからも長期決戦が予想される。
病院を出て、ぶらぶらと街を歩き、取りあえずは腹を満たした。
時折、悪い考えが頭をよぎるが、医師達の技術を信頼することで、振り払った。
時間の頃は、およそ1時頃だったと思う。
7時に手術室に入ったはずだから、始まったのは8時、およそ5時間が経過した計算だ。
最短で5~6時間とのことだ、まだ終わらないだろう…

不謹慎であるとご指摘があろうかとは思うが
病院でダラダラ時間が流れるのにも閉口していたので
パチンコ屋に入った。
完全な暇つぶしである。
6時間という時間の経過の計算で行けば、2時までは何もないとの判断である。
親類達は、四方山話で時間をつなげるが、60近い人間と
30代の俺とでは、長時間の会話は、少し無理がある。

軽く時間を潰して病院に戻ったが、何の動きもなかった。
俺は所在無く、あっちこっちへフラフラと出歩いた。
周りからしたら、落ち着かないように見えたと思うが、俺はただただ退屈だった。
運を天に、というか、村上ドクターに任せた以上、不安になっても仕方のない事だ。
そうこうして、やっとお呼びがかかったのは、午後6時近くであったと思う。
長い長い待機時間が、やっと終わったのだった。