どの辺から記録して行けばいいのだろう?

2年前の祖母が亡くなった話から記しておこうか。

2007年5月初旬に祖母がある意味での大往生を遂げた。
オヤジの母親であるが、96歳での入寂であった。

一年後の2008年5月初旬
祖母の一周忌が執り行われた。

オフクロがオヤジの異変に不安を覚えたのがその頃であったらしい。

元来病気の類に無縁だったオヤジは意にも介さなかったらしいが
翌月の某日仕事上がりで、当時付き合っていた女性と初めて外飲みしていた俺の携帯に
オフクロが電話してきた。

大事な話があるから、早めに帰宅してほしいとのことである。
いささか鬱陶しい気分もしたが
取りあえずは帰宅することにした。

自宅に着いた俺にオフクロが言うには
どうやらオヤジがガンである可能性がある、ということであった。

取りあえず病院に行って検査をしなければ何も始まらないと考えた俺は
その旨をオフクロに伝えた。

6月の下旬に町医者に渋々検査に行ったオヤジであったが
結果はその日のうちに出た。

当初の診断は喉頭ガンであった。

事実を知らされた俺ではあったが
オヤジ、オフクロ、伯父などは、俺がいない間に
東北大学病院へ行く事を決定していた。

自分たちがそう決めた以上は
息子である俺にできることなど、そうそう残っていない。
わずかに宿の手配などをしてあげれるに過ぎなかった。

先に、紹介状を持って、オヤジ、叔父の二人が東北大学病院へと赴いた。
初診受付等を済ませたであろう。
検査入院の日取りを指示され帰宅となった。

数日後、検査入院の当日、俺は職場に休日変更を申し出
仙台へオヤジと共に旅立った。

おそらくは半数くらいのガン患者がそうであろうと推測するのだが
はじめに病院にかかる時点ではそう健康な人間と変わらない体力があると思う。
その時点で大病を患っているとは一見して判別できない。

オヤジもそういう感じであったので
そして、検査入院ということもあって
その日で俺だけは帰宅した。

3日ほどして帰郷したオヤジであったのだが
本入院までまだ少々日にちがある。

いずれにしても前日に前乗りしないとならない日程であった。
その間に俺ができることと言ったら
やはり、宿の手配である。
そして、看病のために仙台入りしたいと望むオフクロのために
短期間の借家探しである。
ほぼネットでの作業であるが、契約やら何やら
現地まで行かなくてはならないこともある。
休日を利用し、5、ないし6時間かけ、車で仙台まで数度往復した。
とにもかくにも、オヤジの闘病生活、並びに
我々家族の急展開が始まった。

調度一年前である。