明智ノート PAGE.27「Final Section ~ 決断の日 ~ (1)」 | 若端創作文章工房

明智ノート PAGE.27「Final Section ~ 決断の日 ~ (1)」

 都会の桜は、既に花吹雪を通り越して路上に散らばる塵と化している。
 俺がここに住み着いて早くも2年。この2年間、色々な出来事と遭遇した。色々な
人物に出会った。しかし、実質はほとんど何も変わってはいなかった。
 変わったとすれば、俺が、この街を好きになったことぐらいである。
 ここに移り住んだ初めの頃は、都会郊外のこの街を、「都会の中の田舎」としか思っ
ていなかった。が、「住めば都」の諺通り、本当にこの街が好きになった。

 だが、「探偵になる」と志して2年、厳密に言えば十数年、しかし俺は未だ単なる
フリーターである。
 俺の周りの人間は、親友の藤山がエリート・サラリーマン。朋子と秋原は学生、そ
して宿敵にして親友の朝霞が刑事である。しかも秋原は、小説家を目指している。
 そう言えば、朋子はどうなんだろう?俺はふと思った。が、次の瞬間、鼓膜を直撃
した声が俺の思考を停止させた。
「なに牛乳瓶片手にカッコつけてんだよ~。しかもタオル一丁で!」
 声の主は、同じくタオル一丁の姿で鏡台に向かい、ドライヤーを巧みに使って髪型
を得意のオールバックに仕上げている最中の朝霞である。そうなると、次の俺の台詞
は決まっていた。
「るっせーな。このええカッコしが!」
「チッチッチッ、最強にイカす刑事と言って欲しかったな。」
 そう言いながら朝霞は格好を付けて親指の爪で櫛を弾いた。俺はその朝霞の戯れ言
を無視し、牛乳瓶の中身を約5秒で胃袋の中に叩き込んだ。

 俺達二人は銭湯の暖簾をくぐった。さすがに風呂上がりの夜の風は涼しくて気持ち
が良い。そして、風呂から上がった後は、無性にラーメンが食べたくなる。あの淡い
醤油の香り、そして茶色のスープの中に幻想的に漂っている麺等を想像すると、よだ
れが出てきそうだ。
「朝霞。」
「ほいきた。」
 これが、俺たちの戦闘開始の合図である。次の瞬間、二人は向かい合う。そして俺
は朝霞に向かって拳を突き出し、朝霞は俺に対して平手を突き出した。
 俺は心の中で叫んだ。
(げっ!)
 朝霞の顔にいかにも「しめた」と言うような笑顔が浮かぶ。
「わりいな。」
 じゃんけん・・・二人以上の人間がいれば、いつでもどこでも一瞬の内に決着が付
いてしまう究極の決闘である。当然の如く、俺たちはラーメン代を賭けていたのであ
る。俺は結局、朝霞のラーメン代を持つことになったが、食べたい時にラーメンが食
べられるのなら安い物だ。
 かくして仲が良いのか悪いのかよく分からない俺たち二人は近所のラーメン屋まで
の道を再び歩き始めた。

 店の中に入り、カウンターに座って待つこと十数分。いかにも美味しそうなラーメ
ンが白い湯気と醤油の香を放ちながら俺たちの前に姿を現した。早速俺は割箸を引き
ちぎり、胡椒の入った青い缶に手を伸ばす。
 適当に灰色の粉をラーメンに落とし、チャーシューを箸で摘み麺の下にそれを入れ
る。次に麺を箸ですくい、それを口に運ぶ。そして音を立てながらそれをすする。
 旨い。本当に旨い。適当なスープの油っぽさと麺の歯応えがたまらない。
「ん、おいし。」
 俺の隣の席に座った朝霞も満足そうである。俺たちはしばらくの間黙々と風呂上が
りのラーメンを味わっていた。
「で、明智。」
 朝霞が俺に話し掛けたのは俺が4本目のシナチクを摘んだ時である。
「ん?どした?」
「あの娘とはうまくいってんのか?」
 朝霞はそう聞くと摘んだ麺を口に運んだ。恐らくは朋子のことを聞いているに違い
ない。
「・・・・・・・、ん?ま、ぼちぼち。」
 俺はシナチクを噛みしめた後、流すように答えた。
「ぼちぼち・・・か・・・・・・ズズ・・・・・・・・無難な答えだな。」
 朝霞は丼を傾けながそう返した。
 確かに朝霞のいう通り無難な答えである。だが、前の黒玉事件(page.4参照)以来
から付き合い始めて、いまだに俺たちの関係は進展していない。
 正直な話、俺は朋子が好きだ。だが、恥ずかしいことにまだその事を朋子に告げて
はいない。
「そういや、朝霞。」
 俺は少なくなった麺の中からチャーシューを摘みながら聞いた。
「ほいほい。」
 朝霞は短い麺を口に運びながら返事した。
「お前はどうなんだ?本命くらいいるだろう。」
「いるわきゃねーだろ?あまりとんでもないことを聞くと公務執行妨害で逮捕するぜ」
 朝霞は言い終わると一気に丼を空にした。まぁ、朝霞らしい答えである。本命がい
ないからナンパするのか、元々本命を作らないのかよく分からないが、それが朝霞と
言う男である。
 俺はラーメンの丼を空にし、席をたった。少なくとも、胃は満足である。
「ごちそうさん。」
 俺は店の親父に挨拶し、財布から千円札を一枚取り出して、カウンターの前に置い
た。

 時計の針は、9時24分を指していた。俺たち二人は少々遠回りしてコンビニに足
を向けていた。
 その間、俺は歩きながら考え込んでいた。俺の将来のこと、そして朋子の事などで
ある。確かに、都会に出てから何一つ代わっていない。朋子との関係も、そして俺自
身もである。
(本当に、このままでいいんだろうか・・・・?)
 その時、背後から迫りくる何かの気配が、俺の思考を中断させた。
「朝霞、何か感じないか?」
「俺もそう言おうとしていた所だ。」
 俺たちは声を潜めて言い合った。そして同時に後ろを振り返った。が、後ろには人
影は見えなかった。
「霊か?」
「いや、霊じゃないな。あれは人の気配だ。」
 さすがは朝霞。伊達に刑事はやっていない。
「だがどこにいるか見当がつかん。」
「俺だったら、あの電柱の影に隠れる。」
 尾行の基本である。姿が見えそうで見えない所だ。丁度よく、俺たちの後方約30
mの所に格好の電柱がそびえ立っている。しかも、街灯がないなら絶好の隠れ場所だ。
「撃ってみるか?」
「おいっ。」
 俺は肝を冷やした。
「冗談だ。気にするな。」
 正直言って、冗談には聞こえなかった。この男なら、本当にやり兼ねない。
 しかし、このままでは埒があかない。
「誰だ!そこにいるのは分かっているぜ。」
 俺は比較的大きな声で後ろの「何か」に向かってこう告げた。すると間も無く、俺
が指を差した電柱の影から一人の青年らしき男が現れた。
「ばれたか。だが、悪く思うな。」
 男はそう言いながら俺たちの方に向かって来た。
「悪く思うなって・・・じゃぁ何故俺たちをつける?」
 俺は怒気を込めて男に言い放った。が、男は無骨な微笑を浮かべながらこう返した。
「いや、探偵としての君の力が見たくてな。まずは合格点だな。明智 弘君。」