明智ノート  PAGE.20「空飛ぶ黒猫」 | 若端創作文章工房

明智ノート  PAGE.20「空飛ぶ黒猫」


 新年を迎えてからまだ一ヵ月も過ぎない頃、俺の住む街にある噂が流れていた。
「ねぇねぇ、聞いた?『悪魔の猫』の話。」
「ええ。知ってるわよ。何でもそこらの猫を襲っているって話。」
「やだー。気持ち悪い。」
 俺がその噂を耳にしたのは、バイト女学生の会話からである。当然、こんな話は無
視出来る訳が無い。
「一体、何の話だ?」
 俺は、その話題に入っていた朋子に聞いてみた。
「明智さん知らないんですか?『悪魔の猫』の話ですよ。」
「はぁ?悪魔の猫ぉ?」
 俺のそのときの表情が滑稽だったのか、彼女はくすくすと笑いながら続けた。
「やっぱり知らないんですか・・・実は最近、この辺の野良猫や飼い猫を襲う大きな
黒猫が居るという噂なんですよ。」
 何だ、単なる猫の喧嘩の話か。俺はその時点でこう思っていた。
「更にその猫、空を飛んで逃げたと言う話です。」
「空を・・・・・飛んで逃げた・・・・?」
「あくまでも噂ですけど、一度見てみたいものですね。」
 朋子は何かを期待しているような笑顔でそう言った。
「ああ・・・」
 俺はそれに、苦笑混じりの微笑で応じるしかなかった。


 その夜、俺は秋原と部屋でビールを交わしていた。
「『悪魔の猫』ですかぁ?それは初耳ですよ。」
 どうやら秋原の耳にその噂はまだ届いてなかった。
「どうせ人面犬や人面魚のようなもんでしょう。どうせすぐ消える噂ですよ。」
「やっぱりそんなもんか・・・・待てよ・・・」
 俺はそう呟くと立ち上がり、窓を少しだけ開けた。冷たい冬の空気が部屋に充満す
る。
「寒いっすよ明智さん。一体窓なんか開けてどうするつもりです?」
「噂話が大好きな彼女を呼ぶしかない。その間、こたつに肩まで潜ってくれ。」
 そういい終わると俺はストーブの手前70cmの位置まで駆けた。
 イルネが来たのは、それから約5分後だった。
「こんばんは、探偵さん。」
 入ってくるなり彼女は姿を現わし、こたつの前に腰を下ろした。
「実は、聞きたいことがあるんだ。」
 俺はストーブの前にだるま(注1)になりながら、早速あの『噂』の話をした。
「知ってるわ。だって、実際見たんだもん。」
 さすがは風の精、珍しいものは見逃さない。俺はそう思いながら更に、
「で、特徴は?」
 と、もっと深く聞いてみることにした。
「え~と、色は黒、体は大きな猫、背中に大きな翼が生えていたの。それで
ぎこちないけど、空を飛んでいたのよ。」
「ふむ・・・」
 俺は唸りながら、彼女の話を聞いていた。彼女の話から仮定すれば、これは一種の
妖怪であろう。
 既に、俺の次の台詞は決まっていた。
「よし、明日にでも実物を見てこよう。」


 時計の針は、12時53分。「『悪魔の猫』捕獲隊メンバー」の俺と秋原はアパー
トの前にいた。
「いいか、絶対生け捕りだ。歯向かっても殺してはいけないぞ。
「はい。明智さんも気をつけて下さい。」
 そして二人は別の方向に歩き出した。


 1時23分、俺の元にイルネが飛んできた。
「何か分かったか?」
「今、小学校の裏にいるみたい。」
 つくづく、今日が日曜日でよかった。俺は思った。
「で、秋原は?」
「いまそっちに向かってるわよ。」
「よし、俺もすぐ行くぞ。」
 俺は小学校に向かって走り出した。


 1時31分、またイルネが飛んできた。
「どうした?」
「今小学校から飛んで逃げたわよ。」
 俺は心の中で「やっぱりな・・・」と呟いた。その時、俺は塀の上にいる大きな黒
猫の姿を確認した。明らかに背中に、毛の生えた大きな翼が見える。
 俺は息を殺し、飛びかかるタイミングを見計らった。
「てぃ!」
 俺は一瞬の内に飛びかかった。そして猫を抱きかかえると塀の裏に転落。節々に感
じる痛みを覚えながら、俺は自分の腕の中に猫がいないことを確認した。
 猫は俺を馬鹿にしたように空を飛んでいる。
「この猫ぉ・・・・」
 俺は立ち上がり猫を睨み返したが、それで猫が捕まえられるなら誰も苦労はしない。
が、空に強力な助っ人がいた事を忘れていた。
 猫は急にバランスを崩し、俺のところに落ちてきた。俺はすかさず猫の首筋の皮を
掴み、空を見て苦笑した。
「イルネ、やはりお前か。」
「だって、明智さん空飛べないでしょ。」
 ともかく、目的は果たした。後は俺の部屋に帰るだけである。


 翼を生やした猫は、俺の部屋でキャットフードを貪っている。
「でもこうして見ると、単なる黒猫にも見えますね。」
 確かにそう見える。だがその容貌から悪魔の使いにも見えなくはない。
「で、この猫どうするんですか?新聞社にでも持って行くんですか?」
「馬鹿、そんな事するか。それじゃあまりにもこの猫がかわいそうすぎる。」
 容貌は悪魔でも、単なる生き物には変わりない。それを見世物にして喜ぶ方が悪魔
に近い。
「でも、このアパートじゃ飼えませんよ。こんな猫誰が飼うと言うのです?」
 秋原の質問に、俺はにやりと笑いながらこう答えた。
「それをこれから、俺と捜しに行くんじゃないのか?」
「そんな無茶苦茶な。」
 そして俺は秋原を引っ張って、アパートの外に歩き出した。


 これで『悪魔の猫』騒ぎは一件落着だが、俺達の騒ぎが落着するのは、まだまだか
かるのである。


 *注1:「だるま」 ストーブの方を向いてしゃがみ込み、手を暖めるお約束の姿勢(笑)