超未熟児で産まれた次男は
高校は調理専門学校へ入学しました。


最近は魚の三枚下ろしばかりにハマっています。








楽しいことをしている時って
心も身体も喜んでいます✨

次男はずっとサッカーをしていましたが
9年間続けてきたサッカーをやめて
サッカー部のない高校を選びました。

お料理、特に中華のことを話している時の次男はキラキラ✴️本当に楽しいんだろうなぁ~😆⤴️💓

自分の作るお料理でみんなを笑顔にしたい‼️
次男のお料理は丁寧です。時間はかかるけど、優しいお味です。

次男を見ていると苦手なことはそんなに無理に頑張らなくても大丈夫なんじゃないかって❤️思えます。
逃げてるってわけではありません。
夢中になれることは本気ですから。
ありのままの自分を許していけたらいいな
次男は色々教えてくれます。

私をあなたのお母さんにしてくれて
ありがとう(^人^)

調理師になりたいと
専門高校へ進学しました。
小さな頃から体育と図工が得意でした。
小学生のときに作ってくれたオムライス↓↓
4月から高校でお料理を習って、おうちでもよく作ってくれます。↓↓

最近はアジの三枚下ろしにはまっています。




いつも一番だしを丁寧にとってくれます。



あの時、次男が産まれたとき、この先にこんな幸せが待っているなんて✨17年前の私に教えてあげたいなぁ。
生後3日で亡くなると医師から伝えられ、それを過ぎると今度は1週間、そしてそれも乗り切ると次は1ヶ月…未熟児網膜症で弱視とも言われたけど、なぜか裸眼でいつもA判定!(学校で行われる定期健診)
そうそう、次男はミラクルな子でした。
長男のときみたいに子育てがうまくいかず、一喜一憂したけれど、いつも家族に笑顔をくれたねぇ♪

生きているだけの存在価値は計り知れないほどの感謝です。産まれてくれてありがとう。お母さんをお母さんにしてくれてありがとう。

我が家の次男くんは超未熟児で生まれました。
私は17年前、妊娠24週で体重475gの男の子を出産しました。
頭蓋内出血、未熟児網膜症、低形成腎などなど
もう覚えてないくらい沢山の病名がついていました。
私は長男出産前に死産を経験しているため、次男を475gで出産したとき、なぜか「この子は生きる」という根拠のない自信に満ち溢れていたことは今でも覚えています。「生きててくれたら、それでいい」
生後7ヶ月のとき体重が1800gになり退院しました。
3歳までは何やらと入退院を繰り返していましたが、3歳をこえると身体も強くなり定期健診以外での病院受診はなくなりました。


アイパッチなど、それなりに超低出生体重児の通る道は通って来たのかなって思います。
小学生になるときに就学猶予の申請をしました。出産予定日より105日も早く3月に産まれたため、学年がひとつ繰り上がったからです。
お陰さまで小中学校ともに楽しく学校生活を送り、お兄ちゃんの影響で小学1年生から始めたサッカーもめきめき上達し卒業するまでの9年間続けることが出来ました!
天真爛漫とは正に我が子のこと。
純粋な次男と優しい長男。仲良しイケメン兄弟くんたち。
次男のお陰で家族はいつも仲良し。
生きてくれていればもうそれで十分。
だから、成長のすべてに感謝しかない。
まさか、まさかの連続。ミラクルを起こす次男。
学校へ通えるとか当たり前のことが我が家ではそうではなかったから。
家族ってなんて温かいんだろう♥️
次男は春から高校生へとなり、自分の選んだ道へまっしぐらです❗
次男の口癖は「いい人ばっかり」‼️です。
学校の先生もお友達もみんないい人ばかりだそうです。
次男のいのちを助けてくださったドクター、それから17年、生活を支えてくださった、出逢ってくださった方々に改めて感謝しています。
475gで生まれた次男はこんなに大きくなりました。