高野聖 | 辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

創作人形作家辻村寿三郎の作品を皆様にご紹介いたします。

本日は85年に映像化の為に人形を制作し、
脚本まで書かれ、撮影も進んでいたのですが完成を見ずに幻となってしまった
泉鏡花原作「高野聖」をご覧下さい。


「高野聖」
1985年 撮影

泉鏡花1900年(明治33年)の作品

文芸誌「新小説」に発表された。


高野聖 僧
ジュサブロー館の創作日記
1985年制作

旅人が、その途中でひとりの高野聖に出会い、旅の話を聞く物語。

飛騨から信州へ抜ける山中で蛭のすむ森に迷い込み血だらけになり、
ほうほうのていで、一軒の山家を見つけ、泊めてもらったところ、
その家の主人がこの世の者とは思えぬほどいい女だったので、
聖はいっそのこと仏の道を捨ててこの女といっしょになろうとさえ思った。

しかしその女は人間ではなく、男を牛や馬にに変えてしまう魔物であった。

その山家で起こる不思議な怪異譚。


高野聖 おんな
ジュサブロー館の創作日記
1985年制作

さて、夜も更けました、といって旅の僧はまた語り出した。

たいてい推量もなさるであろうが、いかにくたびれておっても申上げたような深山のひとつやで、
眠られるものではない、それに少し気になって、はじめの内わしを寝かさなかった事もあるし、
目は冴えて、まじまじしていたが、さすがに、疲れが酷いから、
心は少しぼんやりして来た、何しろ夜の白むのが待遠でならぬ。 

そこではじめの内は我ともなく鐘の音の聞えるのを心頼みにして、
今鳴るか、もう鳴るか、はて時刻はたっぷり経ったものをと、怪しんだが、
やがて気が付いて、こういう処じゃ山寺どころではないと思うと、にわかに心細くなった。

 その時は早や、夜がものにたとえると谷の底じゃ、ばかがだらしのない寝息も聞えなくなると、
たちまち戸の外にものの気配がしてきた。

高野聖 おんな
ジュサブロー館の創作日記
1985年制作

獣の息づかいのようで、さまで遠くの方から歩いて来たのではないよう、
猿も、蟇(ひき)も、居る処と、気休めにまず考えたが、なかなかどうして。

 しばらくすると今そやつが正面の戸に近ずいたなと思ったのが、羊の鳴き声になる。

 私はその方を枕にしていたのじゃから、つまり枕頭のおもてじゃな。

しばらくすると、右手の紫陽花が咲いていたその花の下あたりで、鳥の羽ばたきする音。

 むささびか知らぬがきッきッといって屋の棟へ、やがておよそ小山ほどあろうと
気取られるのが胸をおすほどに近づいて来て、牛が鳴いた、
遠くの彼方からひたひたと小刻みに駈けて来るのは、
二本足にわらじを穿いた獣と思われた、いやさまざまにむらむらと家のぐるりを取巻いたようで、
二十三十のものの鼻息、羽音、中には囁いているのがある。

あたかも何よ、それ畜生道の地獄の絵を、月夜に映したような怪しの姿が板戸一枚、
魑魅魍魎(ちみもうりょう)というのであろうか、ざわざわと木の葉がそよぐ気色だった。

 息を凝らすと、納戸で、うむ、といって長く呼吸を引いて一声、うなされたのはおんなじゃ。

今夜はお客様があるよ。

と叫んだ。

お客様があるじゃないか。

 としばらく経って二度目のははっきりと清しい声。

 極めて小声で、
お客様があるよ。

といって寝返る音がした、更に寝返る音がした。

 戸の外のものの気配はどよめきを造るがごとく、ぐらぐらと家が揺らめいた。

 わしは陀羅尼(だらに)を呪した。
 

 高野聖はこのことについて、あえて別に註して教えを与えはしなかったが、
翌朝たもとを分って、雪中山越にかかるのを、名残惜しく見送ると、
ちらちらと雪の降るなかを次第に高く坂道を上る聖の姿、あたかも雲に駕して行くように見えたのである。