私法ないしは民事法においては、「私的自治の原則」が妥当しています。これは、私人間においては、当事者同士がその法律関係を形成などすることができるという原則です。これを「契約」の場面に及ぼしたものが、「契約自由の原則」と呼ばれるものです(なお、会社法では「定款自治」として、民事訴訟法では「処分権主義」などとして現れてきます)。契約自由の原則は、一般に、①契約内容の自由、②契約締結の自由(契約を「する」か「しない」かの自由)、③契約相手方選択の自由、④契約方式の自由(書面を要求するかどうかなど)という具体的な形で現れてきます。

このような契約自由の原則というものが、とりわけ素人や法律をかじった者にとっては、金科玉条や伝家の宝刀であると考えている人も少なくなさそうです。

 

しかし、「契約」それ自体が法に基礎を持つ「法制度」である以上、法的限界が存在していることを改めて自覚する必要があります。

民法総則の教科書などを見ると、だいたい、「法律行為の(内容の)有効性」という議論の枠組みの中で、a.)内容の確定性 b.)内容の実現可能性 c.)内容の適法性 d.)内容の社会的妥当性の4つが掲げられます。

a.)内容の確定性とは、例えば「高校に合格をしたらいいものをあげよう」というように、当事者にその内容が具体的にイメージされないものではいけないというものです。これは判決を考えればわかり、「被告は原告にいいものを与えよ」などと言われても、実際に執行段階で何を引き渡させればいいのか、執行官が分かりません。このようなものは、法的強制力を有する「契約」としての力を与えないというわけです。当事者間で意味内容が異なるような場合には、民法95条の錯誤の適用対象ともなり得ます。

b.)内容の実現可能性は、契約締結時にそもそも実現不可能なものは「原始的不能」と呼ばれ、その契約は無効とされます。例えば、事故のため大破して、契約時には現存していない、「自分の使っていた車を売る」というようなものです。もっとも、これは、現在民法415条の債務不履行等で処理してよいのではないかと考えらえ、今般の債権法改正では「有効」なものとなりました(改正民法412条の2)

c.)適法性は、言わずもがな、その契約内容が「違法」なものは無効とするというものです。もっとも、この「適法性(違法性)」を判断するためには、参照された法条が「任意規定」なのか「強行規定」なのかによって区別され、強行規定に反するものは無効とされます。当該の規定がどちらに属するかは、基本的に解釈に委ねられますが、例えば借地借家法21条の「第十七条から第十九条までの規定に反する特約で借地権者又は転借地権者に不利なものは、無効とする。」というようなものがあります。

d.)内容の社会的妥当性については、典型的には、愛人契約・売買春契約や殺人の委託などは「社会的に妥当でない」とされ、一般には民法90条の「公序良俗違反」として無効化されます。

 

これまで見てきたように、「契約だから何でもできる」というのは完全な誤りです。この意味で、現代社会では、私的自治も万能では決してありません。とりわけ、社会的要請によって定められた、労働法や社会保障法を典型とする社会法群や、行政秩序のための種々の産業法などにより、「契約自由」は大きく制限されているのです。


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