27歳の若さで革命指導評議会議長となった79年以降は肩書を持たず事実上の国家元首として君臨しているしかし、03年12月に大量破壊兵器計画の放棄を発表し、米欧との協調路線に転換した尊敬するナセル元大統領のエジプト革命時の肩書が「大佐」だったことなどからこの呼称を好んでいるとされるこのとき養女を失った自らの革命思想を書いた「緑の書」に基づく国家建設を行っている

 外遊の際には、遊牧民の使うテントを設置して、民族衣装で各国首脳と会談するなどパフォーマンスでも知られる

 その後、首相兼国防相や全人民会議書記と肩書を変えながら政権を掌握中学生のころから「革命」にあこがれ、ナセル・エジプト元大統領(1918~70年)のアラブ民族主義に傾倒

 たびたび米国と敵対し、レーガン元米大統領には「中東の狂犬」と呼ばれた86年には米軍がトリポリ、ベンガジの軍施設やカダフィ氏の自宅を空爆東部ベンガジの士官学校に進学すると、在学中に民族主義の将校団を組織、英国留学も経験した「カダフィ大佐」と呼ばれるが、「大佐」は呼称1942年にリビア北部シルトで遊牧民の子に生まれる

 73年4月からイスラム教の聖典コーランに社会主義思想を合わせた形で文化革命を推進69年9月、将校団を率いて無血クーデターを成功させイドリス国王を追放して軍事政権を樹立