Rael Maitreya
Nantes Révoltée
79年前: ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件
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~フランス警察、パリで13,000人以上のユダヤ人を逮捕し、強制送還~
1942年7月16日は、フランスの歴史に残る犯罪、ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件が行われた日です。その日、9,000人に上るフランスの警察官と憲兵がパリの街中に配備され、ヴィシー政権によってユダヤ人としてリストアップされた人々のアパートへ次々と突入してゆきました。フランス政府は、ナチスドイツを喜ばせるため、この大規模な一斉検挙を行ったのです。
ユダヤ人たちは、冬季自転車競技場のスタジアムに詰め込まれ、ほぼ5日間、ほとんど食料も水もないというひどい状況に置かれました。犠牲者たちは列車に乗せられ、ナチスの絶滅収容所へと送られたのです。
このような大規模な犯罪が、どのようにして計画されたのでしょうか?
1940年9月27日に制定された条例により、フランスや外国の占領地にいる全てのユダヤ人は、警察署に登録し、黄色い星を身につける義務が課せられていました。登録された全個人の正確なリストは、「ユダヤ人問題担当総監」が保持していました。
1941年8月14日、ヴィシー政権は国家警察を創設。ペタン元帥の命令により、フランス全土に統一された警察組織が正式に発足したのです。内務省の権限でフランス警察の総局が創設されました。給料はアップし、制服はSSが着用していたものを参考にし、各地域に警察学校が設立されるなど、この新部隊に割り当てられた資源は並外れたものでした。解放時には控えめにCRS(有名な共和国のセキュリティ会社)と改称されることになる、抑圧と秩序維持に特化した最初の部隊のGMR(機動予備隊)が創設されたのもこの時でした。警察の事務局長には、協調主義者で頑固な反ユダヤ主義者のルネ・ブースケが任命されました。
そしてついに、ヒトラー政権の貪欲な反ユダヤ主義を満足させるため、フランスの国家機関は忌まわしいことを実行に移したのです。彼らは多くのユダヤ人を追跡し、逮捕しました。1942年7月16日と17日、フランス警察は極右活動家の支援を受けて大規模な捜査を実行。子供4115人、女性5919人、男性3118人の計13152人に上るユダヤ人が逮捕されました。死のキャンプから戻ってこれたのは、ごく少数でした。
この日、家族が逮捕された反抑圧活動家のモーリス・ラジスフ氏は、著書の中でこう証言しています。「私たちが恐れるべきは、フランスの警察だとは分かりませんでした。私たちは、この機関がナチスの要求に応えることになるとは知らなかったのです。フランスの警察署長がゲシュタポに対し、女性の逮捕だけでなく、子供の逮捕も提案するとは考えられませんでした。そうなるなど信じ難いことだったのです」
今日、極右勢力が台頭し、このような混乱の中にあっても、決して忘れてはならないことがあるのです。
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フランスの偽善―フランス政府による驚くべき人権無視の実態! Tankobon Hardcover – April 1, 1996
by クロードボリロン“ラエル” (著), Claude Vorilhon “Ra¨el” (著), CLAUDE VORILHON RAEL (著)