プレジデント 3月9日(水)9時45分配信


大前研一「日本人が知らない日本の歴史」について、話をしよう【前編】


大前研一氏


 歴史は、嘘をつく。なぜなら人間の歴史は戦争の歴史であり、歴史は勝者によってつくられるからだ。第二次世界大戦の敗戦国となった日本に何が起きたのか。そしてどのような負の遺産が、今日に至るまで残されているのか。大前研一氏に、語ってもらった。

 

 ▼そもそも歴史は捏造されるもの

 

 ことあるごとに日本は中国や韓国から「正しい歴史認識を持て」と非難されるが、日本が一方的に責め立てられるほど中国や韓国の歴史認識が正しいわけではない。歴史認識が正しくできていないのはあらゆる国にいえる。

 

 そもそも歴史は捏造されるものだ。それぞれの国の為政者が都合のいいように歴史を捏造して、国民教育にも利用してきた。歴史認識を擦り合わせようとすれば、相手がどういう歴史を学んできているのかを知り、自分が学んだ歴史と突き合わせなければならない。歴史を遡ってどこから認識に齟齬が生じて、そこにどのような捏造が加えられたのかを

検証し、相手に認めさせられるかどうかは極めて重要だが、日本はこの方面がことさら弱い

 

 自己主張を美徳としない国民性もあってか発信力や表現力が乏しいうえに、短いスパンで内閣がコロコロと代わるのもよくない首尾一貫したアプローチが継続的にできないために、時間の経過とともに歴史問題が日本に不利に働いているのだ

 

日本の立場を世界に向けて雄弁に語れる政治家がいれば、日本人は右傾化しないと私は思う。海外の文化や技術を積極的に取り入れ、世界の市場から原材料を調達し、世界の市場で商品を売ってきた国なのだから、右傾化する理由がない。日本の政治の貧しい外交力、発信力と自己表現力の乏しさが、ここにきて日本人の右傾化を加速しているのではないか

 

 いつかきた道にならないためにも、今日に大きな影響を及ぼしている近現代史、特に戦後史というものを日本人は学び直して再構築する必要があると私は感じている。日本人の多くが歴史認識を誤っている部分もあるし、関係国が誤認している部分もある。それらを正して戦後史を再構築しなければ日本は過去に足をすくわれて前に進めないし、近隣諸国との関係も動かせない。

 

 自己の正当性を主張して相手を非難するばかりでは、歴史問題の解決は期待できない。虚心坦懐に互いの歴史認識に踏み込んで、認識ギャップが生じた理由を相互検証し、白紙の年表に共通の歴史を書き込んでいくことが解決の鍵になると思う。

 

大前の視点[1]

ヤルタ会談の米ソ密約が領土問題の元凶

 

 まず日本の歴史認識の問題として、ロシア(旧ソ連)との関係を取り上げる。日本政府は北方領土を「日本固有の領土」として返還運動を行ってきた。そのため日本人の多くは、日ソ中立条約があった

にもかかわらず、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した後にソ連軍が侵攻を続け、北方領土を不法に占拠し、以来、実効支配しているのだ、と思い込んでいる。しかし史実は異なる。

 

 連合国側で戦後の対日政策が最初に話し合われたのは、第二次大戦中の1943年に開かれたカイロ会談で、出席したのはルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、そして蒋介石中国国民政府主席の3首脳。日本の無条件降伏、日本軍が占領した太平洋の島々の剥奪、満州、台湾、澎湖島の中国返還、朝鮮独立などを盛り込んだカイロ宣言が発せられて、これが後のポツダム宣言につながっていく。

 

 その後、1945年2月のヤルタ会談において戦後処理問題が本格的に話し合われることになるのだが、ドイツの分割統治やポーランドの国境策定など

テーマの中心はヨーロッパの戦後処理だった。対日政策については、ヤルタ会談に先立ってルーズベルト米大統領、スターリンソ連共産党書記長、チャーチル英首相の間で秘密協定が交わされている。それがヤルタ会談で「ヤルタ協定」として取りまとめられた。

 スターリンが主張したのは南樺太の返還と千島列島の領有で、ルーズベルトはこれを認める見返りとしてスターリンに日ソ中立条約の破棄と対日参戦を求めた。実は、ルーズベルトは日米開戦当初から何度もソ連に対日参戦を要請してきた。スターリンは日ソ中立条約を表面上は守ってきたのだが、ヤルタ協定でドイツ降伏後2カ月ないしは3カ月というソ連の対日参戦のタイミングが決まった。

 ドイツが無条件降伏したのは1945年5月。その3カ月後の8月8日にソ連は日本に宣戦布告(日ソ中立条約は4月5日に不延長を通告)して、ソ連軍は満州、南樺太、朝鮮半島に進攻。千島列島に到達したのは日本がポツダム宣言を受諾した8月14日以降。

したがって、ソ連が日ソ中立条約を破って南千島を不当占拠したという日本政府の言い分は当たらない。戦争はすでに終わっていて、日本は「無条件」降伏をしていたのだ。満州および南樺太、千島列島に対するソ連の出兵がアメリカの強い要請によることは明白だし、北方四島を含む千島列島を「戦利品」としてソ連が得ることをアメリカは認めていた日本固有の領土、というなら、ロシアに対して主張するのではなく、アメリカに対して“取り消し”を迫らなくてはならない。

 

 実は当時、スターリンは北海道を南北に割って北半分をソ連が占領することを求めた。もし米大統領がルーズベルトのままだったら、実現していた可能性もある。しかしドイツ降伏直前にルーズベルトは病死、後を受けたトルーマンはスターリンの要求を拒絶、戦勝権益として代わりに南樺太の返還と南クリル(北方四島)を含めた千島列島の領有をソ連に提案したのだ。

 

 こうした経緯を日本人はほとんど知らされていない。ただし、政府・外務省はよくわかっていて、戦後10年以上、北方領土の返還を求めてこなかった。それどころか1951年のサンフランシスコ講和条約において、早期講和のために日本は千島列島の領有権を一度放棄している。

 

 ▼日ソ関係の修復をアメリカは警戒した

 

 これを翻して、「放棄した千島列島に北方四島は含まれない」との立場を日本政府が取るようになったのは、日ソ共同宣言が出された1956年のことだ。

 

サンフランシスコ講和条約にソ連はサインをしていない。したがって日ソの国交正常化は日ソ共同宣言によってなされるが、このとき平和条約を締結した後に歯舞、色丹の二島を日本に引き渡す二島返還論で両国は妥結寸前まで交渉が進んだ。

 

 しかしアメリカがこれに難色を示す。東西冷戦が過熱する状況下で、領土交渉が進展して日ソ関係が修復することをアメリカは警戒したからだ。1956年8月に日本の重光葵外相とダレス米国務長官がロンドンで会談した際、ダレスは沖縄返還の条件として、ソ連に対して北方四島の一括返還を求めるよう重光に迫った。

 

 当然、当時の状況下で四島一括返還の要求をソ連が受け入れるわけもない。結局、平和条約は結ばれず、同年10月に署名された日ソ共同宣言(12月発効)では領土問題は積み残されたいまでは四島一括返還が日本人の宿願であるかのように刷り込まれているが、そもそもの発端は(日本とソ連を割くための)アメリカの嫌がらせなのだ

 

大前の視点[2] 封印された問い「なぜ対米従属が永久に続くのか」

 

 日米関係というのも不思議な関係である。我々はサンフランシスコ講和条約の締結をもって、日本が独立国になったと教えられてきた。しかし、「日本は本当に独立国家なのか」という問いかけは、多くの日本人の喉元にずっと引っかかっている。

 

 占領下と変わらずに今も米軍基地が日本全国に置かれて、しかも土地使用料をアメリカからもらうのではなく思いやり予算として駐留経費まで日本が負担している。占領軍が残していった憲法をそのまま後生大事に守っていて、しかも共産党や旧社会党のように反米思想を持った勢力が、その憲法を守り抜こう、という倒錯した関係がある。

 

 民主党政権時代、「日米中正三角形」という米中等距離の外交方針を掲げた鳩山由紀夫首相に対してオバマ大統領が面会を拒否するほどアメリカは激怒した。なぜ日本はアメリカの後ろを自動的についていくだけの追従外交しか許されないのか。なぜ他国に接近するとアメリカから叩かれるのか。世界に例がないほど自由に使える米軍基地が半ば永続的に維持されているのはなぜか。どうして自国の憲法を変えられないのか――。こうした疑問に日本の歴史の教科書は何も答えてくれない。

 

 独立国家の日本にアンタッチャブルの米軍基地と軍事力が既得権のごとく存在し続ける理由を正当化するドキュメントを、我々は見たことがない。サンフランシスコ講和条約を読む限りはそれにはまったく触れていないし、日米安保条約にも書かれていない。

 

 ▼戦後15年間の「歴史の空白」

 

 安倍晋三内閣が閣議決定した集団的自衛権はアメリカの20年来の要望である、とされているし、これが日米ガイドラインの基になる、といわれているしかしアメリカ議会ではこれによって日本が世界のどこでも米軍指揮下で参戦できるので国防予算が助かる、と歓迎されていることが日本ではまったく報道されていない。そうした対米永久従属、という合意が記された外交文書がどこかに存在するのかもしれないが、日本国民には知らされていない。世界史の中でも希有な「無条件降伏」にそれが含まれているのかもしれないが、国民にはいっさい説明がない。

 前述の北方領土問題にしてもそうなのだが、食うに困っていた戦後15年間ぐらいの期間、日本人の

歴史認識はほとんど空白に等しい。どんな戦後処理が施されたのか、何も知らないまま、知らされないまま、事態は進行して、気づいたときには冷戦構造の中でさまざまなことが固定化された。戦後15年の空白の歴史認識を正しく再構築する作業は、日本の真の独立のために必ず必要だと私は思っている

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大前研一
1943年生まれ。マッキンゼー&カンパニー本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長を務める。著書多数。最新刊は『大前研一日本の論点2015.16』。
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160309-00017447-president-bus_all&p=4