ふりかえる。『やっと会えたね』 〜大田原症候群〜 | じゅんたすのうるる日記

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潤ノ助は生まれてすぐに難治てんかんの大田原症候群と診断されました。
病気と闘いながらも、日々楽しく生活してます!

振り返りじゅんのすけ

もう一度自分でも

息子と生きていた時間

ふりかえって

そんなつもりはないんだけど

ほんとはまだまだど真っ只中でいたいんだけど

すこし離れてしまった障がいをもつ子の育児

原点にもどれるよーに。

あの日から

『やっと逢えたね』

私のお腹から潤ノ助が出てきたのは

2008年6月12日 雨の朝でした。

お腹の中に居たときは何も異常もなかったのに

私のお腹から出てきたとき潤ノ助は泣かなくて

分娩台に1人ぽつんと残されたのを今でも覚えています。

すぐに吸引してもらった潤ノ助は保育器に入りました。

先生は大丈夫って言ってたな。確か。

その翌日、救急車でNICUのある病院に搬送され

私はまた1人病院に残された 

世の中にはこんなに悲しく寂しいことがあるんだと思いました。

新生児痙攣だろうから大丈夫だと思う。

様子を見ましょう。

そう言われて、

でもその後、発作がどんどん増えて
2週間くらいでまた大きな病院に転院して

その頃の発作は1日500回くらいで

私は抱っこもしてあげられず

懸命にただがんばってる息子に

産まれてから安心して眠る事も出来ず

ただ泣き続ける息子に

がんばれとしか言えなかった。

何も出来ないママでした。

そんなころ先生から病名を告知されたんです。

「大田原症候群」

産まれてから様子を見ながら、調べて調べて、

言われたくないって思ってた病名を言われたて

暗い暗いところにどんどん入っていくような感じで。

告知と同時に先生から言われた数々の言葉が今も胸に残ってます。

それでも発作と闘いがんばる潤ノ助は

ほんとにほんとに

ただただかわいかった

私と潤ノ助にもこんな頃がありました。

大田原症候群

難治性てんかんで発症者は10万人に1人以下。
発作は難治で、多くは抗てんかん剤および副腎皮質刺激ホルモンに反応しません。薬剤が部分的に有効で発作が消退しても、重症の心身障害を残し予後は極めて不良で、早期死亡の例も少なくありません。

今でも病名を言って分かる人はほとんど居なくて、医師でも知らない人が多いです。
ネットで検索しても8年前と全く変わらない情報。

こんな病気がある事をたくさんの人に知ってほしい。

そして、研究がもっと進んでほしい。

この病気の告知をされて、私が味わったように、私が目にしたような内容をみることのなく、少しでも明るい前向きな情報を見れるように

いろいろな事が進んでも欲しいと心から思います。

みんなに知ってほしいです。

この病気だけでなく、たくさんの病気と闘う子供達が居ることを。

自分でもたまに戻りながら

あのとき感じた大切な想いを忘れずにいたいと思います。

じゅんのすけという名前は産まれる前から決めてました。

潤(うるおう)という漢字がステキで、人を助けられる子になってほしいと思い助けるという字をつけました。

ノはカタカナですが、画数で一番健康になれるように微調整 笑

そんなかっこいい名前です♡

最愛の息子

潤ノ助♡