この間まで涙が止まらなかったのに

そうしてだろう

今は泣き方が分からない


その代わりに血が溢れる

溢れて零れて流れて、、、

血は甘いのよ?

甘い血を舐めて、

勢いが良すぎて頬にも紅がさす


自傷行為なんてしばらくやってなかったのにな。


こんなに痛かったんだって知った

狂ったように切り続けていた頃は気付かなかった


もっと痛みが欲しい

もっと、もっと、痛みを頂戴

罰して頂戴な

いくら本人が頑張ったと主張しても、

結果が出ていないなら、それは頑張ったうちに入らない。


人それぞれで必要な努力の度合いは違うのだから、

自分が結果を出すのに必要なだけの努力をしてはじめて、

頑張ったと言えるのだ。


と、教えられて生きてきました。




毎日のできごとをきちんと記憶に留めきれず、

その上レポートを出し損ね、バイトを休み、

このままじゃ、まともな学生生活が送れない。

どうしたらいいのでしょう。


という話を、前回の診察でしました。


記憶が飛び飛びになるのは、それだけ負担が掛かっているということだから、

全力の3割に抑えて行動するぐらいが丁度良い

いつでも100%エンジン全開でいられる人はいない

匙加減が大切だと言われ、

0か100かしかない私は、

そんなんじゃあ、望むような成果が出せない

それに100%の結果でなくても、周囲の人と同じ程度には頑張りたい

と言いました。


聞き分けのない患者です。


でも友人がみんな3回生で卒論とゼミ以外の要卒単位は全て取りきって、

4回生では就活に専念して、当たり前のように社会に出て行くのをみると、

不安で仕方なく、そんな当たり前のことさえちゃんと出来ていない自分にがっかりする。



最近の変化

・ここ数日とにかく一日中眠くて仕方ない。(眠剤も飲んでいないのに)

・やたら涙もろい。とにかくちょっとしたことですぐに泣いてしまう。


6月頃に一度、泣き方が分からなくなった時期がありました。

泣き方どころか感情の動かし方もあやふやになって。

その時の方が楽だったなぁと、根性なしな私は思ったりします。



大学の授業で知能検査をしました。

まさか自分のIQを知る日が来るなんて思いもよりませんでした。

知能指数は10項目以上の知能をばらばらにはかり、それを総合して分析します。


私は日常記憶という『生活態度の習慣・性癖が左右する記憶力注意力:素直さ、真面目さ、落ち着き、粗雑さ、嫌気、飽き性、根気負け、放棄、拒否型等の受け入れ方を示す』項目の成績が異常に悪く、しかし納得しました。だって、この説明のネガティブな言葉がまるまる当て嵌まるのだから。笑っちゃうほど納得です。



今朝方、なんだか妙な衝動に駆られて、下に3つ程病んだ戯言を記録。



前回の診察以来随分と不安定な日々。


今までにしなかったようなことをいっぺんにしました。

わざと試すようなことを言ったりしたり、

縋るような真似をして、助けてオーラ全開で、

「私はあなたを全く信じていません」的発言。

一体どうしろと?!自分の行動ながら説明がつきません。


何だか怖いんです。

いろんなことが。

何だか急に怖くなったんです。

今までは「何も信じられないこと」なんて、別に恐れるようなことじゃなかったのに。

今はどうしてだか、そんなことが怖い。



今までしなかったような話もしました。


「私は昔、性的被害に遭いました。」と言って、思い直し、


「やっぱり被害ではなくて、そんな戯れがありました。」と言い直しました。


幼かった私の行為は咎められたりはしない。

だからこそ、被害者面はできない、と思う。



かつて私は「姫」のように可愛がられていた。

初孫と言うわけではなかったけれど、長男の家の長子というのは、たとえ女でもそんなものなのでしょう。

私はその愛情を失いたくなくて、戯れにも応じた。

悪いことだって自覚もあった。

別に被害でも何でもない。


悪いことだって自覚があったから、「こんなことが知れたら、家族がバラバラになるかもしれない」と思い、何も言わずに黙っておくという決断をした。

それ以来、「家族が平穏であること」と「私が普通であること」が、私の中で最も価値のあることになった。

そうすれば私はいつまでも穏やかに、愛されて、生きていけるものだと信じていた。

が、何年かして生まれた嫡男に私の地位はあっという間に掻っ攫われた。


「ああ、なんだ。そんなもんか。」と思った。


ついでに両親は不仲になっていくし、私は精一杯普通にしているつもりなのに、どうしてだかいつもどこか浮いてしまうし。

簡単なことなのにいつも何も上手くいかない。



といったようなことを話しました。


他にもフラッシュバックの詳細についてちらりと。

高校生の時に見た幻覚の話なんかもしました。

が、長くなるのでまた次回以降。


今までは子どもの頃の出来事に繋がるような話はずっとせずにいたので、一体どんな心境の変化なんだろうかと、自分のことながら不思議です。

でもやっぱりそんな話をすると、酷く動揺するようで、前回の診察以来何度か記憶が飛び飛びです。


・レポート提出日のことが不明。しかもレポート出してないし…(留年する気か?!)

・知らない間にバイトを休んでいました。しかも明日も休むらしいです(連絡済)。←祖父が亡くなったそうです。(両家とも健在ですが…どんな嘘だよ!)


今までも何度も「覚えてない」っていう事態はありましたが、こんな風に社会生活に悪影響がでるような事態は初めてで、かなり動揺しています。


今までは、

・知らない間に講義が終わってた。でもノートはいつもの百倍バッチリとってある。とか、

・知らない間にレポートが1本終わってた。とか、

・知らない間に食事を済ませて本を読んでた。とかで、

悪くても、

・知らない間に出かけてて、気付いたら別の場所にいた。っていう程度。


勘弁して。


明々後日の診察では「私の社会生活が脅かされている」と訴えることにしましょう。

きっと、「その言い方はオーバーだ」と言われるのでしょう。

いつか愛想を尽かすなら

今すぐこの場で突き放して

安心したくて仕方ないくせに

壊したくて仕方なくなる

「いつまでこのままなんですか?

もう時間が無いんです。

卒業したら、もう今までのようにはいかない。

主治医だって嫌でも変わる。

そうしたら、また何もかも始めからやり直し。

そんなこともうできません。」


それはまだ、1年以上先のことだからと、宥められ、


ああそうか。私は一体何がそんなに怖いのだろう、と思った。

恐れるほど失うものなんてないはずなのに。

だって私は何も…


『物事に対して基本的な安心感が持てないでいるのだ』と、告げられて


何を今更、と思った。


だって私は何も信用できずにいるって、いつもサインを送っていたじゃない?


何を今更

もっと早く気付いてよ

気付いてたのなら伝えてよ


いつも私のことをちゃんと見て、何もかも解ってるって

振りでも良いから束の間の安心を。

本当はそんなコト不可能だってちゃんと知ってるから。


こんな我侭を云って、呆れて私を見放さないか反応を窺ってる。

診察時間の1番最後に予約を入れて、

通常よりも1時間長く居座って、無駄口をたたいてみる。

もうそろそろ付き合いきれなくなるんじゃない?


そんな感じの今日この頃の診察風景。


+++


暫く見ていない間にプロフィールの機能が進化してる。

シンプルなままでいいのになぁ。

何か変わっただろうか、と考える

たぶん何も変わっていない


私は相変わらず臆病で 泣いてばかりいる

そのくせ見栄っ張りだから 何でもないって振りして

何もかも誤魔化している


怖がってばかりで何処にも進めない

でもそんなこと認めたくないから

やっぱり 何もかも誤魔化している


全部誤魔化したまま ずるずると生きていくのかなぁ

世界から眼を逸らして 何も聞こえない振りして 




なんだかもう疲れた

もういいやって いってしまいたい


やるべき事が沢山沢山あるのに、なにも出来ていない

こんな現状
でも別に平気


あの感覚がやってきた


どーでもいい感


コレが大抵煩わしいこと全部への自己防衛


この感覚が来ると、もうなんだか、どーでもよくなる
自分が何を考えているのか、感じているのか、よく分からなくなる


そして何も感じなくなっていることに気付く

それはわたしにとって、とてもとても有益な事態


心がなくなったみたい

それはわたしにとって、とてもとても幸福な事態


やらなきゃならないことを淡々とこなして
感情も淡々と一定に保って
そうやって強く淡々と生きて生きたいの


私は今、若干どうしたら言いのか分からなくなっている。


このまま此処に居続ければ、何れ何もかもを壊してしまうのかも知れない


人の温もりの中で弱っていくわ

手を伸ばせば手に入りさうな錯覚の中

求めて手放して諦めて壊して…

そんなことをして、いつか人を傷付けてしまうかも知れないことが、怖い


何のために口を閉ざしたのか

私は何も壊したくなかったから

間違いが起きる前に

早く此処から立ち去らないと

「自殺なんて、心の弱い人間がするのだ」と、何も知らない母のひと言。


何も言わない私は「ふーん」と返し、こっそりと苦笑。


さっきからもう1時間以上、書いては消してを繰り返しパソコンも私の目も熱くなってきました。


思考は脳みその中で曖昧な形のまま、言葉となって表れることなく溜まってゆく

感情が上手く言葉にならない

追い詰められてゆく、気がする

蓄積される「何か」を吐き出す方法が見つからず、逃げ出したくなる

だけど足枷をつけられているように身動きがとれない


昨日はこの場所を作って丁度1年だったようで、それを知らせるメールを受け取りました。

1年前、私は今よりずっと的確に、感情を言葉にして表現できていたし

言葉を綴ることが私を生かしていました。


言語化は最も心的エネルギーの高い状態で出来る、ストレスへの対処法だそうで。

腕を切って

ODを繰り返して

死にたいと喚いて

そんなことをしていても、そんなことをしていない今より精神的に余裕があったのかも知れません。


実際、おぼろげながらも留学の予定が立っていたので

「あと少しで逃げられる」未来を支えに、走っていたように思えます。


現実に戻されてどうしようもなく過ぎゆく毎日に押し潰されそうで、息苦しい。

けれどパソコンに向かっていられる「余裕」があるのだから、「限界」にはまだ程遠いようです。


あとどのくらいで壊れてしまうのか

或いは抜け出せるのか


モラトリアムの終焉までにはまだ時間がある。