3月16日デビュー記念日です。
長きに渡り、大好きなプロレスに関わることが出来て感謝しております。
プロレス回顧録では、昨日の記事より19歳の淳一少年が佐藤淳一レフェリーとして
デビューしました。
記事によく登場する、猛牛クラブマスター及び悪のマネージャー太野さんは、
実は2014年11月に病気により他界しています。
淳一少年が大変お世話になった方の一人です。
【太野さん晩年の話】
太野さんの家と自分の家が駅1つ分しか離れていないので年に数回ですが酔っ払って呼び出しの電話がきます。
太野さん「淳一か?今、南浦和の○○にいるから直ぐに来いよ。」
淳一「まだ仕事中です。また今度お願いします。」
正直面倒くさいので適当な理由をつけてはお断り。
合流するのは5回の呼び出しに1回くらい。
30歳を越えてもまだまだ自分を子供扱いする太野さんに、
淳一「もう、子供じゃないですよ!!」
淳一「その話何度目ですか?」
淳一「俺の青春を返してください!!」
終いには、
淳一「いちいちウルセーじじいだな!!」
とお互いに酔っ払って喧嘩もしばしば…。
先に帰ると言うとポケットから1000円札を取り出して「淳一、タクシーで帰れ。」と男気を見せます。
翌日に『昨日は生意気言ってスミマセン』
とメールを入れることも何度もありました。
そんな太野さんですが、デビュー当時から今現在も愛用している淳一のレフェリー
ズボンは、太野さんからいただいたものです。
淳一19歳。デビュー当時は、体重67kg。
現在36歳は体重77kg。
マックス体重84kg。
どの時代の体型でも履きつづけたズボンです。
アジャスターが付いておりウエストが多少調整できたために長年愛用しております。
レフェリングの際には両膝をマットにつくためにどうしても膝近辺の生地が薄くなり破れてきます。
特に自分は右手でカウントを取るために、
左膝が先にマットにつくために左側の膝近辺の生地のダメージが酷いです。
近所のクリーニング屋さんは、自分がプロレスのレフェリーをしていることは承知なので、クリーニングを出すと、
「ここ傷んでいたから叩き縫いしておきましたよ。」
有り難いことにズボンのメンテナンスをしていただいております。
アイスリボン所属になってからは試合数が増え、年に1度大々的にメンテナンスを行います。
写真で伝わるかわかりませんが…。
両膝で15000円。
新しいズボンを買える金額ですが、
太野レフェリーからいただいたズボンは、
今では大切な商売道具。
メンテナンスをしながら、これからも大切に履き続けていきます。
18年目も選手、関係者の皆様。
ファンの皆様に愛されるレフェリングを
心がけてまいります。
応援よろしくお願いします!!
平成29年3月16日
アイスリボン レフェリー
佐藤 淳一