嘔吐を何度か繰り返しながらも、徐々にその味に慣れていくことを「お酒に強くなったのではない。」と言いました。
世の中の成人の90%以上が飲酒をし、お酒を飲むことが楽しいこと、子供はジュース、大人はお酒、大人になったらお酒はたしなむものなどという様々な根も葉もない戯言のために無防備に飲酒が受け入れられ、正論づけられています。
そして、嘔吐しなくなることをいいことに徐々に飲酒の機会も増えていき、お酒が手放せないものになっていきます。
しかし、それでも偉大なる自然は我々を見捨てたりはしないのです。
嘔吐することも忘れ、徐々にお酒の罠にはまっていく我々を今度は免疫力を身に着けてくれるのです。
この免疫力の凄いところは、体に入れてしまった毒素を解毒できるようになるだけではなく、困った事にも毒の味にもなれさせてくれ、あろうことかそのはじめは不味かった味を「美味しい」とさえ思うようにしてくれるのです。
だけど、だからと言って、我々人類が我々の持つ免疫力に「不味いものに慣れさせるなんてひどいよ」などと文句を言うのも変な話です。
それは免疫力だって知的ですから、不味いものを美味しく感じるほどのバカがこの地球上に出てくるとは思わなかったのでしょう。
実際辺りを見渡すとそんな愚かなことをやっているのは我々人類しかいません。(あぁ悲しい)
このようにして、免疫力のおかげで嘔吐せずにお酒を飲めるようになる我々人類ですが、我々が騙されている、又はマヒしているのであって、お酒そのものは何も変わっていません。
お酒は現在も過去もこれからもすぅーっと強力な毒であり続け、味もひどいままで何も変わりません。
悲しいことにも、警告ベルが鳴るほど不味いお酒に対する我々人類の認識が変わっただけの話です。
嘔吐しなければならないほどひどい味だったのに、皮肉なことにもあまりにも高度化されたその免疫力のために、不味い液体すらをも「美味い」などと錯覚させられるにいたったのです。
こうなると、主導権はしっかりとお酒が握っているわけです。
何とも言えず、お酒とは巧妙に我々の体内に忍び込んで来るのです。