☆映画『ムーン・ウォーカー』より
マイケル・ジャクソン Come Together
いらっしゃい
前回に引き続き映画『ムーン・ウォーカー』を交えながら
早速、マイケル特集②に突入して行きたい。
まず最初にご紹介した、「Come Together」(カム・トゥゲザー)
「Come Together」は、ご存知の通り、ビートルズの名曲だ。
注*1969年10月31日に「サムシング」と共に両A面でシングル発売されている。
作詞・作曲ジョン・レノン&ポール・マッカートニ―
「Come Together」は独特な世界観を漂わせている。
難解な言葉遊びのような歌詞が独特な世界観を醸し出すのだ。
マイケルは多くの意味でジョン・レノンに親近感を抱いていたと言う。
マイケルとレノンは一般社会にはなじむことが出来なかったが、
それこそが彼らの持つ才能だったと評する専門家もいる。
…二人とも多くの意味で突き抜けていたんだろうなぁ。
分かり合える人が身近にいない孤独感や有り余る才能とエナジー全てが
音楽と創作活動へと一心に傾けられていたのではないかな…と。
マイケルは特に、歌う事と踊る事、そして表現する事で
神様に触れる瞬間があったのだろうかと、想いを馳せたりすることもある。
さて、話は戻るが・・・
マイケルとビル・ボットレルがプロデュースした
新しいCome Togetherがマイケルの5枚目のアルバム
『ヒストリ―・パスト・プレズント&フューチャー・ブック1』
に収録されている。(1995年の作品)
アコースティックなサウンドの効いた、Come Togetherは
ロックでめちゃくちゃ最高
もちろん、ビートルズのオリジナルが素晴らしいという事は言うまでもない。
『ヒストリー』にはチャーリー・チャップリンの「SMILE」もマイケルによって
カバー収録されている。
どちらも大好きな歌だ。
☆マイケルジャクソン
SMILE
何度聴いても・・・聴くたびに涙が溢れてくるのはなぜだろう。
彼はblackアメリカンとして誇り高く生き抜いた人だった。
謂れのない誹謗中傷を受けながらも、強くたくましく時代を駆け抜けた
偉大な音楽家だった。
多くを語る事よりも、悲しみや心の叫びを歌にして表現する事を選んだマイケル。
ヒストリーはそのマイケルの前向きな想いが最も表現されたアルバムだと思う。
そして、天に召されて8年の月日が過ぎた今も尚、マイケル・ジャクソンは
多くの人々の心の中で生き続けているのだ。
マイケルの声は曲によって幾通りにも変化する。
bottom of my soul
魂の奥底にある自分の声を優れたダンサーは聴くことが出来る。
と言う言葉がある。
マイケルという人はそれを音楽の力で表現することができた稀有な人なのだ。
先ほどもお話したように「Come Together」は、
歌詞が難解で、全てに含まれた意味を自分なりに解釈して楽しむファンも
多々おられたことだろう。(私もいろんなことをあてはめたものだ・・・)
言葉遊びが好きだったと言うマイケルにしてみれば、もしかしたら
この歌から、ジョンやポールの言わんとするものが
伝わっていたのかもしれない…と感じたりもする。
マイケルは頭の回転がとても速くて、言葉を並べる遊びをすると
誰も彼には叶わなかったと言う逸話もあるほどだ。
と言うわけで、マイケルが、映画『ムーン・ウォーカー』でも披露し、
正式にカバーしたビートルズの楽曲。
「Come Together」の話しでした。
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さて、次はマイケルのグローブのお話へと移りたい。
マイケルのトレードマークであり、大切なアイテムであるグローブ。(手袋)
①(前記事)で紹介したモータウン25のマイケルが付けていた手袋はこれ♫
過去に香港の男性が35万ドルで落札したそうだ。
そもそもマイケルがステージでグローブをつけ始めたのはこの日からだろう。
これは、マイケルのアイディアで、ゴルフ用のグローブにスワロフスキーを
一つ一つ装着したものだという。
手首のボタンや、皮の質感がお分かりいただけるだろうか。
スワロフスキーの縫い方も手作り感が満載である。
※もちろんフェドラ・ハットも同じく。
これ以外に、マイケルの自叙伝ムーンウォークにも記されていた話しがある。
この日マイケルが羽織っていたキラキラの黒のジャケットは、
何を隠そう、マイケルの母キャサリンの服を借りていたのだ。
モータウン25の収録の日に何を着ればいいかと迷ったマイケルは、
母のクローゼットでこのキラキラの服を見つけたと言うわけだ。
もちろんママへの承諾は済んでいた模様である。
マイケルの発想力には唸るしかない。
自らのステージでマイケルのオマージュをしたいという
申し出がサミー・デーヴィスJrからあったのだ。
さて、もう一つのエピソードがある。
マイケルは記念すべきモータウン25で着用したグローブを
コモドアーズのウォルター・オレンジにプレゼントした。
モータウン25の夜、歌手仲間であるウォルター・オレンジから
サインを求められた時マイケルは・・・
「サインはあげられないよ、あなたは僕よりも有名なんだから」
といって代わりにこのグローブを贈ったそうだ。
このエピソードからもマイケル・ジャクソンの心優しい人柄と、
常に謙虚で相手を敬う気持ちが深く伝わってくる。
写真は2001年マイケル・ジャクソン30周年コンサートより
マイケルのグローブは次第に進化をと改良を重ねて行き、
着脱がしやすいようにと大きめになり、スワロフスキーも更に華やかになった。
注*ビリー・ジ―ンーのステージ序盤で装着して、
後半にはカッコよく投げるので
外しやすいことが肝心だったと言う話しだ。
やはり初代の頃よりもどことなくゆったりとしている。
マイケルはただでさえ手が大きく指が長い人だったので
キラキラ輝くこのグローブはステージを盛り上げる最高のアイテムだったのだ。
ヒューマン・ネーチャーを歌い踊る時マイケルは詩人になる。
体で音楽の世界観を余すところなく表現する人。
今も、世界中の誰もが知っている永遠のスターなのだ。