一応、自己紹介をしておきたいと思います。
病気に関するバックグラウンドも書きます。
1984年、東京都で生まれ、その後神奈川、宮城、と移動しますが、
15年ほど前から神奈川におちついています。
生まれは2850gの健康優良児でした。
こどものころは風邪こそ人並にひきますが、
特にこれといった大病もなく…
小学5年生になる直前の春休みに、公園で、
ぬかるんだ土に一輪車の車輪をとられ、
遊具に激突。左膝上に9針縫う怪我をしました。
それが人生初の救急車でした。
幸いにもその怪我はしばらくして治まり、
その後はしばらく平穏でした。
中学で始めた演劇の世界から離れられずに
高校でも演劇部。ダンスをやったりもしました。
大学に入り、さらに演劇やダンスを続けますが、
表に立つ方の才はあまりないと実感し、、
裏方に回ります。
最初は高校時代もやっていた衣装、そして大学1年の冬から始めた
照明。
しかし、順風満帆に見えて、病魔は静かに忍び寄り…
18歳でリウマチ発症。
最初はただの関節痛だと思っていましたが、
次第にリウマチの方向を怪しみ、
そしてついに暫定。
ただ、検査の数値もあまり確定診断には至らないものだったので、
大学2年の秋に、大学病院で検査を受けることにします。
最初に痛みが出た、左足首の滑膜(かつまく)を取って調べる手術。
半身麻酔で、腰骨のところから腰椎に針を刺して
麻酔したのですが、
手術後2~3日は普通だったのに、その後、頭をあげると頭痛がする症状。
これは、腰椎の注射針の入れ方や消毒方法がいけなかったのでは、
と後に別の病院で指摘されますが、
とにかく、4~5日と言われた入院は12日に及びました。
そして確定診断が出て、慢性関節リウマチの病名がつきました。
(その後いろいろ改正されて、「関節リウマチ」が現在の正しい名前です。)
その後、しばらくしてから、最初に行ってからずっと続けていた
近所の整形外科での治療の進展があまり期待できそうになかったので、
同じ市内にある、大きな病院に行きます。
リウマチの専門の研究機関を備えた病院です。
最初は整形外科、その後紹介状を書いてもらい、リウマチ科。
そこではリウマチに対する薬がたくさんあり、色々
試すことができました。
副作用で熱発を起こしたこともありました。(大学4年時)
そして筆者も大学を卒業し、都内の某劇場に
照明スタッフとして入りました。
学卒でいきなり劇場というのは、正直、
今から考えても、もう少し別のところで修行してからのほうが…
とは思いますが、荒波にもまれ勉強したことは
悔いはありません。
社会人1年目の22歳の7月。
お下のところに潰瘍らしきものができ、まず近所の
婦人科に相談。「おできがつぶれただけ」と言い
抗生物質を出され帰されましたが、
その後も痛みと潰瘍はよくならず。
上述のリウマチで通っている病院の婦人科にかかります。
そこではヘルペスを疑われます。
数日後、今度は頭痛と高熱が発生。
3~4日続いたそれに耐え切れず、2007年7月10日。
ちゃんと検査をしてみよう、ということで入院。
結果としては、髄膜炎から、脳炎になりかけていた
ということでした。
先生たちの適切な処置のおかげで、何とか
大事を切り抜け、
2週間ほどで歩けるまで回復。
しかし、リウマチ薬を止めていたため
その薬の復帰と、体力回復を見るため、
結局1か月半入院しました。
その後はリウマチ科に通いつつ、
時々急性胃腸炎になったりとかありましたが、
リウマチの方も落ち着いて、
ステロイドを減らしてみようかという話に。
しかし、減らすと、体力的にもちませんでした。
朝の低血圧で起きられず、遅刻、ということが
あり、仕事に響くため、敢え無くステロイド減量作戦は中止。
そして2009年3月、齢、若干24歳。
私にとって人生最大の危機が訪れます。
くも膜下出血。
恐ろしい病気です。
これから書ける事は書いていきます。
わからないことや質問など、どうぞ書き込んでください。
病気に関するバックグラウンドも書きます。
1984年、東京都で生まれ、その後神奈川、宮城、と移動しますが、
15年ほど前から神奈川におちついています。
生まれは2850gの健康優良児でした。
こどものころは風邪こそ人並にひきますが、
特にこれといった大病もなく…
小学5年生になる直前の春休みに、公園で、
ぬかるんだ土に一輪車の車輪をとられ、
遊具に激突。左膝上に9針縫う怪我をしました。
それが人生初の救急車でした。
幸いにもその怪我はしばらくして治まり、
その後はしばらく平穏でした。
中学で始めた演劇の世界から離れられずに
高校でも演劇部。ダンスをやったりもしました。
大学に入り、さらに演劇やダンスを続けますが、
表に立つ方の才はあまりないと実感し、、
裏方に回ります。
最初は高校時代もやっていた衣装、そして大学1年の冬から始めた
照明。
しかし、順風満帆に見えて、病魔は静かに忍び寄り…
18歳でリウマチ発症。
最初はただの関節痛だと思っていましたが、
次第にリウマチの方向を怪しみ、
そしてついに暫定。
ただ、検査の数値もあまり確定診断には至らないものだったので、
大学2年の秋に、大学病院で検査を受けることにします。
最初に痛みが出た、左足首の滑膜(かつまく)を取って調べる手術。
半身麻酔で、腰骨のところから腰椎に針を刺して
麻酔したのですが、
手術後2~3日は普通だったのに、その後、頭をあげると頭痛がする症状。
これは、腰椎の注射針の入れ方や消毒方法がいけなかったのでは、
と後に別の病院で指摘されますが、
とにかく、4~5日と言われた入院は12日に及びました。
そして確定診断が出て、慢性関節リウマチの病名がつきました。
(その後いろいろ改正されて、「関節リウマチ」が現在の正しい名前です。)
その後、しばらくしてから、最初に行ってからずっと続けていた
近所の整形外科での治療の進展があまり期待できそうになかったので、
同じ市内にある、大きな病院に行きます。
リウマチの専門の研究機関を備えた病院です。
最初は整形外科、その後紹介状を書いてもらい、リウマチ科。
そこではリウマチに対する薬がたくさんあり、色々
試すことができました。
副作用で熱発を起こしたこともありました。(大学4年時)
そして筆者も大学を卒業し、都内の某劇場に
照明スタッフとして入りました。
学卒でいきなり劇場というのは、正直、
今から考えても、もう少し別のところで修行してからのほうが…
とは思いますが、荒波にもまれ勉強したことは
悔いはありません。
社会人1年目の22歳の7月。
お下のところに潰瘍らしきものができ、まず近所の
婦人科に相談。「おできがつぶれただけ」と言い
抗生物質を出され帰されましたが、
その後も痛みと潰瘍はよくならず。
上述のリウマチで通っている病院の婦人科にかかります。
そこではヘルペスを疑われます。
数日後、今度は頭痛と高熱が発生。
3~4日続いたそれに耐え切れず、2007年7月10日。
ちゃんと検査をしてみよう、ということで入院。
結果としては、髄膜炎から、脳炎になりかけていた
ということでした。
先生たちの適切な処置のおかげで、何とか
大事を切り抜け、
2週間ほどで歩けるまで回復。
しかし、リウマチ薬を止めていたため
その薬の復帰と、体力回復を見るため、
結局1か月半入院しました。
その後はリウマチ科に通いつつ、
時々急性胃腸炎になったりとかありましたが、
リウマチの方も落ち着いて、
ステロイドを減らしてみようかという話に。
しかし、減らすと、体力的にもちませんでした。
朝の低血圧で起きられず、遅刻、ということが
あり、仕事に響くため、敢え無くステロイド減量作戦は中止。
そして2009年3月、齢、若干24歳。
私にとって人生最大の危機が訪れます。
くも膜下出血。
恐ろしい病気です。
これから書ける事は書いていきます。
わからないことや質問など、どうぞ書き込んでください。