下手な歌手が増えて辟易するよと友人が言う。

そうは思わないかと相槌を強要されて困惑する。

下手な歌手が増えて聞ける曲がないと友人が言う。

その辺りの見解を聞かせてくれと要請されて困惑する。


歌は(と私は始める)、

上手い下手じゃあない。

踊りは(と私は付け加える)、

上手い下手じゃあない。


いい歌か悪い歌か。

いい踊りか悪い踊りか。

それだけだ。


上手い歌がいい歌で、下手な歌が悪い歌ではないのか。

(と予測通りの反論が返ってくる)

上手い歌をいい歌と、下手な歌を悪い歌と君が感じるのであれば。

(と語りたがりの私が止まらなくなる)


たとえば。

平凡な女学生が、ふとした瞬間に思う、日常の出来事への、感謝の気持ち。

その歌は。

世界的声楽家が高尚に歌い上げるよりも、同世代の歌い手が不器用に歌った方が。

身近で。切実で。優しくて。

胸を突くかもしれない。


つまりは。

その歌の目的を達するかどうかという、その歌の効果を最大限引き出せるかどうかという。

製作意図を。

下手でも伝えられたならそれはいい歌で、上手くても伝えられなければそれは悪い歌で。

作品の完成に対して何が必要か。

技術とはそういうもの。


楽しませたい作品なら楽しませる歌を。

考えさせたい作品なら考えさせる歌を。

泣かせたい作品なら泣かせる歌を。

怒らせたい作品なら怒らせる歌を。

作品に塗り込めるのだ。

技術も声質も所詮はその為の素材。


技術があれば、尚良いが、それは歌い手の問題。

その後、彼が、歌で生活できなくなったとしても聴衆には無関係。


よろしいか。

あらゆる芸術がそうなのだ。

よろしいか。

あらゆる芸能がそうなのだ。


技術が未熟過ぎて、冷めてしまう。

それは歌い手のみの問題ではなく。

その作品に携わった者全ての問題。

作品を良い作品に仕上げられなかったという。


けれども。

素晴らしく高度な技術はそれだけで芸術になり得る。

技術体得の為に削った時間と魂が芸術に昇華する。

それはそれでよし。


どのように聴いてもいい。

芸術など芸能など。

たかが娯楽に過ぎないのだから。


けれども。

上手いとか下手とかで作品を評価するのは。

なんとも幼稚でなんとも浅薄な。

芸術耳だと、私は思うよ。


友人はふと黙ってしまった。

顔を見ると不機嫌そう。

友人は同意が欲しかったのだ。

どうやら私は又、友人を失ったらしい。