キモヲタ。キモち悪いヲタク。

アニメが好きだから。フィギュアが好きだから。アイドルが好きだから。ゲームが好きだから。

キモヲタ。キモち悪いヲタク。

そう呼ばれるのはそれだけじゃない。それだけが原因じゃあない。


独特な喋り方がある。

少し早口で妙に明瞭でどこか芝居がかった。

そこ。

独特な動き方がある。

少し直線的で妙に大仰でどこか芝居がかった。

そこ。


人間は小脳に感覚器から得た情報を基にした、所作のパターンを形成する。

そのパターンの細部の差異が、各人の個性やクセとなる。

ヲタクは小脳にアニメやPCゲームのキャラクターから得た情報を基にした所作のパターンを形成する。

それにより喋り方は声優芝居的、動き方は二次元キャラクター的となる。


結果。

多くの人が多くの人と接触し、恥をかいたり嫌悪感を抱いたり、

その人に憧れたりその人に好かれたくて格好をつけたりと、

所作のパターンをそぎ落とし付け加え練り上げていく作業が、

一定の世界観の中で完結してしまい十分になされておらず、


それが余りに独特な、空転したキモヲタキャラを生み出すのだ。


キモヲタは無頓着な髪型だ。

キモヲタは無頓着な服装だ。

そこも。

趣味につぎ込むからそこまで金が回らない、回したくないと言い訳する。

そんなことは後付けの理屈。本当は小心と衆目への恐怖なのだ。

見られることに自信がない。センスに自信がない。自分に自信がない。

ならば、どうせヲタクなのだからその体(てい)で構わないだろう、という、諦観。


残念な。

自己防衛だ。防衛機制だ。開き直りだ。無頓着を装っている。

対人衆目から逃げている。笑われることから逃げている。

向こう側に行って笑われ、ヲタク側の格好でもないから居場所がない。

だからもう、ありあわせの格好でいい。興味がないことにすればいい。


それが多くのキモヲタが見た目を放棄する思考の、出発点。


キモヲタはわがままだ。

キモヲタは甘えている。

キモヲタはずるい。

キモヲタは弱い。

人と付き合うなら、一緒に歩く人のことも考えるもの。自分がよければいいは通らない。

自分らしくあるがままに生きるという言葉を、曲解して正当化している。

隣を歩く大切な人が嘲笑されるかもしれない言動や格好をして平気な姿が、

自分らしく、あるがままの姿だということになる。なんという自分勝手な言い草。


人に好かれたければ、相手が自分をどう思うかを考え相手が自分と付き合うことでどうなるかを考えるもの。

本当の自分の姿を受け入れてくれる人がいつか現れるという妄想にいつまで浸っているつもりなのか。

相手を受け入れることもせずに。相手の価値観も受け入れることもせずに。

自分の現状だけを受け入れさせ、相手の為に努力しない。なんという言語道断。


キモヲタがキモヲタのまま町を歩けば、笑われるのは自明。それが現実。今の世の中。

キモヲタと連れ立って歩けば、ともに笑われるのも自明。それも現実。今の価値観。

隣に立つ人を思いやることができない。愛されたいという渇望ばかりだ。

町を支配する価値観と対峙することができない。許されたいという要求ばかりだ。


見渡してみろ。顔など悪い奴の方が多い。

見渡してみろ。アニメよりえげつない趣味を持っている奴など無数。

だけどそいつらは、愛される為に努力をしている。

だけどそいつらは、愛する為に走り回っている。

だからそいつらは、美少女抱き枕を抱いて寝ても、その隣には愛する人が寝息を立てる。

だからそいつらは、アイドル写真集が棚を埋め尽くしても、その隣には恋人との写真が並んでいる。


趣味が悪いのではない。


お前が悪いのだ。

お前が変われ。

大好きな趣味を悪者にしない為に。

大好きな人の為に。


キモヲタ。キモち悪いヲタク。

あの人はヲタクだから、ではなく。

あの人ってヲタクなのに、と言わせてみろ。

その後に続く言葉は、これに決まりだ。


「素敵だね」


ステキヲタ。

これでいけ。