頭で芸術を捉える群れががさつな神経でまくし立てる。
感性で芸術を楽しめない言いたがりが未熟な感覚器で猛り狂う。
嬉しそうに盗作、盗作とはやし、いそいそとその分析に日を重ねる。
やがて得意げにまとめた資料をばら撒く。むだむだ。そんなことは全てむだ。
作品は面白ければ良い。
作品は楽しめれば良い。
作品は感銘あれば良い。
作品はただ作品であれば良い。
鑑賞者にとってそれだけが真実。
たとえそれが盗作であっても。
アレクサンドル・デュマは言った。
「確かに俺は盗作をした。けれども。
俺の作品の方がはるかに面白い。」
ガッタス・ブリリアーノは言った。
「そこに一つの素晴らしい可能性を秘めたメロディがある。
それを使わないことは芸術への背信行為だ。」
濁った目で盗作、盗作と謳う。
窃盗を犯した者の作品など、観るに聴くに読むに耐えないと。
更に。
過去の醜聞を掻き集め、作者の人格を罵倒する。
そんな人間が作ったものが、世間に蔓延ることなど許せないと。
愚か。
そんなことは鑑賞者にとっては無関係。
そんな周辺情報など作品の評価には無関係。
その程度のことも分からずに、ひたすら低俗な脳髄を働かせて、
頭でしか芸術を捉えることのできない群れが五月蝿い。
愚か。
そんなことは制作者にとっての問題。
金を出すに値したかどうか、
時を費やすに値したかどうか、
それだけが鑑賞者にとっての問題。
盗作など制作者同士が当人同士で争えばよいこと。
法が裁かないなら、その話はそれでお終い。
ガッタス・ブリリアーノは言った。
「私の作品から盗作したければすればいい。
私とお前の作品、どちらが優れているか世間に問うてみよう。
それはすなわち私とお前の力の優劣だ。
さあ、私を恐れぬならばかかってこい。」
ヌッチィ・コッツェンは言った。
「彼は性倒錯者で殺人者だが、素晴らしい芸術家だ。
私は彼の曲で、心ならずも号泣した。何も問題はない。」
そして私も言う。
盗作だろうが何だろうが、私を楽しませてくれた作品を、
私は支持する。
オリジナルだろうが何だろうが、私が楽しめなかった作品など、
クソだと。