こういう戦争遺跡は「保存」され現代まで残っているケースはほとんどない。
多くは撤去するにも費用がかかるためそのまま放っておいているのが現状だったりする。
なので、こういう風に道路の拡張とか必要があると取り壊しすることになる。
札幌市内にも旧軍の北部軍が使っていた防空指揮所というトーチカをでかくしたような貴重な「戦争遺跡」があったが、自衛隊が管理している時は使用していたが、国家公務員の宿舎を作るという理由で取り壊されてしまった。
壊される時はあっという間に消えてしまうのが戦争遺跡だ。
保存して後世に伝えようと取り壊し反対運動もあるが・・・・・保守系より左翼が多いんだよね・・・そういう運動・・・。
以下産経ニュースより転載
茨城県鉾田市汲上にある戦争遺跡「監的壕(かんてきごう)」が、近くを走る県道の拡幅事業に伴って移設されることになり、工事が始まった。
移設工事は2月上旬までに終わる予定だが、その後の保存や活用は見通しが立っていない。
市民からは地元の歴史を伝える貴重な戦争遺跡の風化を懸念する声が広がっている。
監的壕は「監視哨(かんししょう)」とも呼ばれ、爆撃機や戦闘機の爆撃や射撃が標的に命中したかを壕内から目視で確認するために使われた施設。
同市の監的壕はコンクリート製で直径約3メートル、高さ約2メートルの円柱形。中には数人が入れる空間がある。
同市などによると、先の大戦時に、現在の同市内にあった鉾田陸軍飛行学校の訓練で使用されていたという。
監的壕があるのは鉾田市二重作と鹿嶋市宮中を結ぶ県道鉾田鹿嶋線沿い。
これまでは地主の男性の土地に立っていたが、県道の拡幅工事を機に県がその土地を買収した。
茨城県鉾田工事事務所が監的壕の所有者を調べたところ、「国でも県でも市でもない」ことが判明し、県や市もその取り扱いに頭を悩ませていた。
近くに住む農業の男性(88)は「子供の頃は練習で模擬弾が落とされているのをよく見かけた」と飛行場があった当時を振り返るが、「県道は通学で使う子供たちも多い。早く道幅を広くしてほしい」と早期の解決を望んでいた。
“行き場”を失う状態にもあった監的壕だが、同事務所が地主の男性と協議した結果、男性が所有する土地の敷地内に移設することが決定。
同事務所によれば、男性も工事によって戦争遺跡が失われてしまうことを懸念し、移設に同意したという。
監的壕が移設されるのは、南東方向に約100メートルの地点。
今月22日に始まった工事は監的壕を損傷しないようにレールを使い、慎重に行われている。
ただ、移設後の保存や管理の方針は何も決まっていない。
鉾田市在住で、飛行場の歴史などを調べている野村正満さんは「移設後も放置していたらいずれは劣化し、消えてしまうだろう」と心配し、「地元に飛行場があったことを物語るものは他に何もない。歴史的な遺物を残すために、説明板の設置や郷土学習に生かすなど、行政に動いてもらいたい」と危機感を募らせている。
監的壕について、市生涯学習課の担当者は「市指定文化財に値する価値があるかの判断が難しい。
必要になれば文化財指定や管理などを考えて対応していく」としている。(鴨川一也)
(産経ニュース)
戦争遺跡は保存されているケースが少ないこともあり、放置されているため自然崩壊している場合もあるし、気がつくと消えて無くなっている場合もある。
去年、友人を北海道の戦争遺跡を案内した時にそれを経験した。
比較的大きなトーチカであったが、周りが工事現場になっていて地形すら変って居た。
以前は深い対戦車壕があって近くを通るのにも怖かったが、その時には跡形も無くなっていた。
トーチカ陣地というのは幾つものトーチカがあって成り立っているもので、かつてはたくさんのトーチカがあったのだが・・・・、終戦時の物資不足で鉄筋も入っていない状態なため自然崩壊していたらしい。
保存ってなかなか難しいものなのだ。
戦争遺跡を求めて北海道中を周ったことがあったが、地元の人も知らないことが多く、目立つところ以外はなかなか目的地まで行けない山奥ってこともある。
道東のには結構あった。
そういうツァーがあってもいいのにね。
沖縄にもいろいろあったが現地では当たり前のように風化に任せていた。
保存って難しいね。