韓国が戦勝国ではない理由 | 戦車兵のブログ

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韓国の歴史教科書はファンタジーばかりで歴史というより小説だね。
そんな歴史を日本に押し付け「歴史認識ニダ」とそればかり主張して日韓関係は険悪となっている。

韓国は戦勝国だと主張をしているが、韓国の建国は1948年8月15日で戦後3年が経っている。

つまり韓国が日本と戦争なんて出来る筈もなく韓国が戦勝国なんてあり得ない。

そこで戦前にあった「大韓臨時政府」というものを少し調べてみた。


「日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった」

 韓国の特異な歴史観というのは、その建国の事情にからんでいる。

韓国の国定教科書「中学国史・下」では次のように書く。

「われわれが光復(独立)を迎えることができたのは、連合軍の勝利がもたらしてくれた結果でもあるが、この間、わが民族が日帝に抵抗してねばり強く展開してきた独立運動の結実でもあるということができる。」

確かに大東亜戦争勃発当時に上海にあった「大韓臨時政府」は、日本に対して宣戦布告をしたがそれきりで、内部抗争を続けるのみであった。

 そのために「大韓臨時政府」はアメリカにも中国にも承認されていなかった。
せめてドイツ占領下のフランスでのレジスタンスのようにゲリラ戦でも行っていれば、連合国の一員と認められる可能性はあったろうが、それすらもなかった。

終戦時、朝鮮独立派のリーダーの一人・金九は重慶で祖国上陸を夢見て韓国光復軍を編成し、訓練を積んでいたが、日本降伏の報に接して、天を仰いで長嘆息し、次のように言ったと伝えられている。

「韓国軍は日本軍を打ち破ることは一度もなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった」

その韓国軍は本当に存在していたのか?

「独立軍など見たこともないのに、どうやって討伐できるのか」


 つまり韓国は独立戦争もしていなければ、日本軍と戦闘を行った歴史もなにもない。

朝鮮戦争で若くして陸軍大将となり現在も生きた英雄といわれる白善燁(ペク・ソンヨプ)大将が近年韓国の国会では31歳の若い議員が92歳の英雄を「民族の反逆者」などと侮辱することが実際に起こっている。

野党・民主統合党の金光珍(キム・グァンジン)議員は国会国防委員会で行われた国政監査で、韓国軍の元老将軍白善燁(予備役陸軍大将、以下ペク将軍)に対し、「民族の反逆者」と非難した。

問題視しているのは、日本統治時代にペク将軍が満州軍官学校を卒業し、間島特設隊の少尉として活動していた事実だ。

ペク将軍も回顧録の中で自らこのことを認めており、また当時は独立軍ではなく中国共産党の八路軍を撃退する活動を主に行っていたという。

またペク将軍に対しては「独立軍を討伐した」などと非難する声も以前から出ているが、ペク将軍自身は2009年のインタビューで「独立軍など見たこともないのに、どうやって討伐できるのか」と語っている。

 ペク将軍は韓国でいう韓国戦争(朝鮮戦争)当時、洛東江防衛ライン、多富洞(慶尚北道漆谷郡)戦闘、38度線突破や平壌奪還、1・4後退後のソウル再奪還などを最前線で指揮していた。

 そのため韓国軍関係者はもちろん、当時を知る米軍関係者もペク将軍を「韓国戦争の生きた英雄」として礼遇している。

在韓米軍司令官の就任式や離任式の際「尊敬するペク・ソンヨプ将軍」という言葉であいさつを始めるのは伝統となっており、米軍の新任将校が海外で研修を受ける際「韓国でペク将軍に会うこと」は必修コースだ。また多富洞戦闘は米軍士官学校の教材や戦史にも掲載されている。ところが今回、韓国の国会で行われた国政監査で、ペク将軍は「民族反逆者」と名指しで非難されたのだ。

白善燁大将の「独立軍など見たこともないのに、どうやって討伐できるのか」という証言こそ、韓国軍と日本との戦闘なんてあり得ないことを証明している。

戦っていない国が戦勝国といつの間にか勝ち組に名乗り上げていること自体ファンタジーなのだ。

そして韓国では英雄でも反逆者と呼ばれる。

満州国軍中尉の経歴が初代陸軍大将の経歴よりも重いようだね。

そんな国に歴史認識なんていわれてもね、韓国は自国の歴史を見つめ直すことはないのだろうね。