脅迫も…飯島愛さん悩ませた暴露本の気になる中身 
大親友のホステスが出版



親友の暴露本にも悩んでいたという飯島さん
親友の暴露本にも悩んでいたという飯島さん

24日、都内の自宅マンションで遺体で発見された元タレント、飯島愛さん=本名・大久保松恵=(36、写真)は、病気や金銭の問題を抱えていたが、芸能界引退直後に出た暴露本にも深く悩まされていたという。本には飯島さんのAVデビューの“真相”や、男性に翻弄され、孤独感を深めていく様子などが克明に描かれていた。

その暴露本とは、昨年10月に出版された『銀座「女の戦い」ウラ話』(恒友出版)。筆者の倉地明美さんは、飯島さんの自著『プラトニック・セックス』にも登場する人物。飯島さんが六本木のホステスだったころからの親友だ。

同書は倉地さんが自身の半生を振り返る部分がメーンだが、20年来の親友という飯島さんについても、≪飯島愛との真相≫と題して1章47ページにわたって綴っている。

それによると、2人の出会いは倉地さんが19歳、飯島さんが16歳のとき。倉地さんが勤務する六本木のクラブに飯島さんが入店してきたのがきっかけ。2人は隣り合うマンションに入居するほど仲がよく、腎臓病で病弱だった飯島さんが高熱を出した際には江東区亀戸の実家まで送り届けたこともあったという。

まさに親友の関係だったが、倉地さんは同書に≪愛は、男にハマると貢いでしまう癖があった≫≪愛は、愛に飢えていた。心底、飢えていた≫と書き、男に何度もだまされた飯島さんの過去を暴露。恋人との生活を続けるためAVで稼ごうとしたことや、恋人との別れが原因で当時出演中だったテレビ番組の収録をすっぽかしたエピソードなども書き連ねている。

飯島さんと十数年来の知り合いというプロダクション関係者は「彼女は長く鬱に悩まされていた。芸能界で成功してからも、『近づいてくるのはカネか体目的の男ばかり』と語っており、人間不信のような状態だった。倉地さんの暴露本も、相当ショックだったようだ」と振り返る。

倉地さんの暴露本には芸能界デビューした飯島さんが≪「あの話バラすぞ」「このことバラすぞ」と言って、金をあちこちからゆすられていた≫という記述がある。『プラトニック-』の出版は、そうした脅迫を収める手段だったが、出版後も脅迫はやまず、さらに『プラトニック-』の記述をめぐって倉地さんとの間にも亀裂が生じたという。

バラエティー番組では常に明るい顔を見せていた飯島さんだが、さまざまな葛藤と戦い、孤独のなかで息を引き取った。

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彼女は全身生感帯…AV監督の帝王・村西とおる激白

AV出演のトラウマにもなやまされ続けたという飯島愛さん.
AV出演のトラウマにもなやまされ
続けたという飯島愛さん.

2008年12月26日(金)17時0分配信 夕刊フジ

AV監督の帝王といわれながら、倒産などの逆境を味わった経験がある村西とおる氏(60)が、飯島愛さんの死に追悼手記を寄せた。

彼女とは一緒にAVを作りはしませんでしたが、16-17年前、新潟ローカルのお色気番組で一緒にお仕事をしたのが最初の出会いでした。彼女はタレントのお仕事も始めていたころ。非常に神経が繊細な、いわば、りっしんべんのない「全身生感帯」の持ち主でございました。

休憩時間でも、広告代理店のお偉いさんにお茶を出したり、肩をもんだりして、とても気を配っていた。「ロケ現場を見に行くんだけど、一緒に行かない?」って誘っても、彼女はプライベートな理由で断ることはせず、「はーい、行きます!」と素直についてきた。当時から、「こうやって周囲に気に入られて、のし上がっていくんだな、このコは」と思いましたね。

彼女には、裸になって勝負してきた人にしかない凄みというのがあった。援助交際、整形、AVという修羅場をくぐり抜け、メジャーな舞台にまでのし上がった「飯島愛」、清濁合わせて飲んで壮絶な人生を歩んでいるのに、さわやかな「飯島愛」。自分をどこまで客観視できていたのでしょうか。

TBSの「サンデー・ジャポン」でお話ししていたときも、とても礼儀正しかったですが、私は、担当のディレクターに「AV時代のことは絶対に触れないで」と言われていました。

彼女は反抗的で、投げやりな気持ちでAVに出演していたのでございましょう。非常にトラウマになっていたんだと思います。AVに出た過去が向こう傷になって世間に評価されたということを彼女は消化できていなかったのではないか。

素敵なパートナーと出会って、AVに出た過去がマイナスにならず幸せに生きているコもいますが、周りが彼女のさみしい部分、「生感帯」の繊細さをどれだけ理解していたのでしょうか。

36歳という女盛りなのに、たった1人で亡くなって、知人に発見されるなんて…。胸につまりますね。

 

飯島愛さん 死の直前までエイズ拡大防止訴える

トークショーに登場した赤枝恒雄氏(左)と飯島愛さん=宇都宮市江野町のオリオンスクエアで2008年12月6日午後3時42分、松崎真理撮影
トークショーに登場した赤枝恒雄氏(左)と飯島愛さん
=宇都宮市江野町のオリオンスクエアで
2008年12月6日午後3時42分、松崎真理撮影

24日に亡くなったことが分かった元タレントの飯島愛さん(36)は今月6日、宇都宮市で行われたエイズウイルス(HIV)感染を身近な問題として考えてもらう集い「B・B・バルーン・キャンペーン2008」に参加。チラシを配るなどし、エイズ拡大防止を訴えていた。各地でHIV啓発活動を行う都内の産婦人科医院の赤枝恒雄院長とともに出演したトークショーでは「以前、検査を受けた時は、結果が出るまで本当に怖かった。HIVは思った以上に身近にある。ぜひ検査を受けてほしい」などと話していた。赤枝院長も悲報にショックを受けている様子で「医師の守秘義務があるので何も話せません」と病院を通じてコメントした。

[ 2008年12月25日 07:15 =スポーツニッポン]

デヴィ夫人 飯島さん引退の“真実”語る
元タレントの飯島愛さんが亡くなっているのが発見されて一夜たった25日夜、デヴィ夫人(68)が自身の公式ブログを「飯島愛さんの死」というタイトルで更新した。

デヴィ夫人は、飯島さんの訃報を24日夕方に知り「深い悲しみに陥りました。そして、後悔の念にかられました。何でもっと側にいて、話し相手になってあげられなかったのだろうか? と・・・」とつづっている。

さらに、タレントとして絶頂だった飯島さんの突然の芸能界引退は、病気治療のためとされているが「私は聞いてしまったのです」と、事実とは違うことも“暴露”。

飯島さんが「“遊び”が過ぎて、とんでもない事」を行い、「映像や写真を撮られ、所持していた人達にゆすられ、恐喝され、つきまとわれていた」とトラブルに巻き込まれていたと記している。

さらに、飯島を追いつめていた人に対しては、「人で無しを憎む。許されない!!必殺仕掛人よ、現れよ!!!」と憎む気持ちをストレートに表した。

デヴィ夫人ブログ
[ 2008年12月25日 22:54]

引退の飯島愛、言いたくても言えなかったズルイ事

3月31日で体調不良を理由に芸能界を引退したタレント、飯島愛さん(34)。その日に収録し、6日にオンエアされた最後のレギュラー出演番組「中居正広の金曜日のスマたちへ」(TBS系)は平均視聴率21%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)、瞬間最高視聴率は28.5%の高い数字を残した。惜しまれながら去った飯島さんは、何を伝えたかったのか-。

番組で興味深かったのは、まず、3月17日に収録されたという透視能力者の木村藤子さんと飯島さんのやりとり。

木村さんは、飯島さんの引退について、「うそを言っています。病気で仕事を辞めるとか責任のないことをする人ではない」と分析。「今、引退せずに乗り越えた方がいい。2、3年後は違う形で良い方へ行く」と助言をした。一方で、「決めれば引かない方」とも。その言葉を聞いた飯島さんは、「今、『(引退は)決めたことです』と思っていました」と心の内をズバリ言い当てられ驚きの表情を見せた。

さらに、木村さんは「彼女の信用のために言っておきます。言いたいことを言えないでいる問題を抱えています。頑固で意志も強いし、責任も強い。逃げてます。逃げるの皆さん留めてください」と、呼びかけた。

その後、2人はマイクを外しスタジオの隅へ。木村さんが話しかけた言葉に「ホントかよ、怖ぇー、私帰る」と飯島さんが叫ぶシーンも映された。

しかし、飯島さんの決意は変わらず、2週間後の3月31日の収録で「芸能人としてここまで来られたことは奇跡的なくらいラッキーだと…」と涙ぐみながらの引退宣言。共演の高木美保(44)が飯島さんへメッセージを寄せると、「私はもっとズルイ事を…ごめんなさい」と意味シンな発言を繰り返していた。

飯島さんはブログでも、収録を振り返り、≪木村先生はすごい。そして優しい。心配しないで…大丈夫さぁ。逆境に強いんだよアタシ≫などと、自分にハッパをかけている。

飯島さんが最後に言いたかったことは、何なのか。かつて、「週刊実話」で、飯島さんがホステスを務め300回近く続いた対談を仕掛けた芸能評論家の肥留間正明氏が、しみじみと語る。

「引退の理由のひとつとされる腎盂(う)炎は、つらいだろうが、決して不治の病ではない。ほかに理由がある。賢い子だけに警戒心が強くなり、自分を大切にするようになった。女性タレントが自ら辞めようとするときは、自分の人生に決定的な変革があるとき。“男”なんじゃないのかなぁ」

ZAKZAK 2007/04/10