広島・長崎でオリンピックを--ただし簡素化して | 回廊を行く――重複障害者の生活と意見

広島・長崎でオリンピックを--ただし簡素化して

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広島・長崎でオリンピックを開催しようというのが、最近の他の方のブログにも新聞投稿にもあったので、私も賛成なので一昨日のブログに書きました。こういうアイデアはいかにも名案という感じで、好意的に受け取られる一方で具体化しないということが多いので、とにかく書いておこうと思ったからでした。ところが昨日の夕方のニュースで広島と長崎の両市長が招聘で一致し、今日共同発表をするというので驚きました。日本ではまずこういうことは実現しないと思っていたのに、少なくとも両市のレベルでは前向きに進みつつあるのです。オバマ大統領の核廃絶演説とそれによるノーベル平和賞受賞、および同氏の日本訪問などが事態を促進する条件になっています。

もちろん招聘の実現までには難問山積です。今朝の朝日新聞 にもありましたが、①1都市での開催が原則、②設備や宿泊施設のために巨額の費用が必要であり、世界的な大都市でないと耐えられない、というのが主な難点でしょう。このうちの①については上記の記事にもありましたが、東京オリンピックでは馬術競技を軽井沢で行った例もあり、また、ルールが違うかもしれませんが、サッカーのワールドカップでは韓国と日本という先例のない二ヶ国共催でしたから、今後二都市共催の可能性を模索する余地はあるでしょう。

問題は①ですが、注目すべきは両市がオリンピック開催を言い出したについては、リオの次のオリンピック・イヤーである2020年が、国際NGO「世界平和市長会議」が核兵器廃絶の目標に掲げた年であるということです。その年にオリンピックをぶっつけて機運を盛り上げようというのが広島市長のかねてからの考えであったということで、今回ノーベル賞とも重なって広島・長崎開催に言わば錦の御旗が立てられたともいえるのではないでしょうか。

つまり核兵器廃絶に地球環境の危機をも含めて、肥大を続けていたオリンピックを簡素化するチャンスではないかということです。戦後ヘルシンキからシドニーまでのオリンピックで行われた競技の数 は、ヘルシンキが18、メルボルンが17、ローマが18、東京が20、メキシコが18とおおむね18であったのに、1972年のミュンヘンから21となり、以後ソウルで25、バルセロナで25、アトランタで26、シドニーで28と右肩上がりです。これにはサラマンチ会長の存在や商業主義の跋扈という理由はあるでしょうが、このままでは
恐竜並の定向進化というか増加です。心ある人はブレーキをかけたいと思っているのではないでしょうか?

地球環境を含めた錦の御旗の元で競技数の減少を図ることにより、必要な設備を減らし、参加人員も少なくできないものでしょうか? 18種目よりももっと減らしてもよい。例えば近代五種というのがありますが、少なくとも日本では競技人員が少ない上に設備費がかかるようです。クレー射撃のようなものは、競技団体自体がお金を持っているようですから、当事者責任で世界選手権でも開催することにしてオリンピックからはお引取りを願う。サッカーも本当はオリンピックから下りたいと考えているそうです。広島・長崎というのは夏季大会ですから話は違うでしょうが、冬季のボブスレーとかリュージュというのは競技人員がごく限られているのに、長野オリンピックでのコース建設費は101億円で年間維持費が1億3000万円。競技人口は逢わせて300人ということです。スキーのジャンプ台にしても巨額の建設費がかかるのに競技人口は3桁のはずで、こういうものはマニフェストでも作って整理できないかと思います。極端なことを言えばオリンピックは陸上・水上とレスリングでもあれば伝統の火は絶やさないことになるのではないでしょうか?

とにかく広島・長崎でのオリンピックは、核廃絶および地球温暖化防止へののろしであると同時に、オリンピック健全化へのチャンスでもあります。一部の競技団体にはピンチとなるかもしれませんが、ゴルフが増え、7人制ラグビーが増えるといったことをいつまでも続けていってもいいのかを考えるべきだと思います。

☆終末を 迎える前に 平和祭

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