ある日のジム。遠征出発にそなえ、最後の練習をおこなっていたときのことだった。1本の電話がかかってきたのである。
電話に出るダブ。すると聞き慣れた声が聞こえてきた。ジェリーだった。
「よお、ジェリー。準備はできたか?」
しかしジェリーはこう答えた。
『ダブ、すまん。今日は一緒に行けないんだ』
「どうした?」
『ほんの少し風邪をひいただけだよ』
「おまえが風邪?雪でも降るんじゃねぇか?」
笑い合うダブとジェリー。ややたってからジェリーがいった。
『なあ、ひとつ訊いてもいいか?あんたあのとき、なんでなんの得にもならないのに俺にボクシングを教えようと思ったんだ?』
ダブはいった。
「なんてことないさ。必死に人生のどん底から這い上がろうとするおまえはボクサーそのものだったからな」
むせび泣くジェリー。
『ダブ……』
「なんだ?」
『愛してるぜ。心からよ!』そしてジェリーは電話をきった。
「ジェリー?」ダブは怪訝そうに受話器を置いた。そしてそれがジェリーとの最後の会話になるのであった……。
━━2002年9月12日。病室のドアを開けるダブ。彼の目に飛び込んできたのはベッドの上で昏睡状態のジェリーだった。
ダブには秘密だったが、実はジェリーは3度の心臓バイパス手術を受けていた。そして心臓に限界がくることを感じ、ダブに迷惑をかけられないと遠征に同行しなかったのだ。
担当の医師がダブにいう。
「肺炎も併発しています。残念ながらもう長くはないでしょう」
しかしダブはベッドの上のジェリーに話しかける。
「おいおいおいジェリー。おまえ、そこでなにやってるんだ?らしくねぇじゃねぇか。なんとかいえよ」しだいに涙声になるダブ。「試合もな、負けちまったよ。おまえがこねぇからだ。ジェリー……」
病室を去ろうとするダブに医師が声をかける。
「看取らないんですか?」
「ジェリーがKOされるところなんて見たくねぇ」
病院の廊下をむせび泣きながらひとり歩き続けるダブ。
「ジェリー、どうするんだよ、俺たちの夢はよ。左目をなくしてどうやって世界チャンプを育てるんだよ!」
その夜、ジェリーは72歳でこの世を去った。