松原照子の説
私は人様から「予言者」として見られることが心苦しく、そのような自覚など全くありません。
心の中で「今日より明日、地球家族が幸福に暮らせますように」と毎日、同じ言葉を繰り返し自分に話し掛けているだけなのです。それと、不思議な世界の方々とお話ができなければ、どこにでもいる中年のおばちゃまです。
もちろん、何かをいい当てようなどとは今まで思ったこともなく、こうして書いた文章の多くは、すぐにその内容も忘れてしまっているのです。
『幸福への近道』という私のブログでは、私が見えるものを「世見」と位置付けています。といいますのも、世の中のことを、不思議な世界の方々のお力をお借りして見てみたいという思いと、人々がどうすれば仲良く地球家族として暮らせるかの思いから、この「世見」という言葉を思い付いたのです。
(中略)
大正12年(1923年)9月1日の土曜日。午前11時58分32秒に大激震が走った後、阪神淡路大震災と同じように、大火災が発生しました。さらに昼食の時間帯だったことが被害を拡大させ、東京は焼け野原と化したのです。
「この関東大震災を予言した人がいますよ……」そう不思議な世界の方は言っておられます。その人の名は、東京大学教授の今村明恒博士とおっしゃるそうです。
(中略)
私と今村博士が同じなどと大それたことを申し上げるつもりはありませんが、人は本来、自然界の動きを察知できる生き物だったように思えて仕方がございません。
私がブログで陸前高田について触れたことについても、「改ざんだ」などとパソコンのできない私のことを誹謗中傷する方もいて、かなり落ち込んだときもありましたが、不思議な世界の方に今村博士のお話を教えて頂き、まさにこれが人の世なのだ、と改めて胸の奥がスーッと晴れていくような思いでした。
メシアの論証
東日本大震災、通称“3・11”をブログの中で予言したとして一躍時の人となった“世界のまつてる”こと松原照子先生。しかし、それから真相を暴く人たちが続出し、松原照子の3・11予言は大嘘のあと出しジャンケンであったことが判明した。
それについて松原照子の反論というのが━━
「私がブログで陸前高田について触れたことについても、「改ざんだ」などとパソコンのできない私のことを誹謗中傷する方もいて、かなり落ち込んだときもありましたが、不思議な世界の方に今村博士のお話を教えて頂き、まさにこれが人の世なのだ、と改めて胸の奥がスーッと晴れていくような思いでした」
━━たったのこれだけなのである。
松原照子をインチキだと非難する人たちのサイトというのは、誰のをのぞいてみても非常に具体的な根拠をあげて説明がされている。彼らの非難がまちがいで自分の予言が真実だと主張するのなら、松原照子も本やブログの中で否定派に負けないくらいの具体的な根拠を示す必要があるはずだ。しかし、松原照子の反論は前述の文だけであり、否定意見ひとつひとつを論破するようなことは一切されていなかった。
理由はいうまでもなく予言が嘘だったため、否定意見に反論ができないからだ。
そもそも本当に3・11を事前に予知していて、世界と人類の平和を心から願う人だったのなら、東日本大震災が起きる1ヶ月前やれ1週間前やれに政府関係者に詳細を説明し、『3月11日がくる前に東北の人々をほかの地域に避難させてください!』といったことを懇願しまくっていたはずである。
政府関係者に伝える手段がわからないのなら東京の各地で━━
「3月11日に東北で大地震が起きます!東北の方たちはそれまでにほかの地域に避難してください!」
━━とでも警察に連行されるまで絶叫し続ければいいだろう。そうすればたとえいかれた妄想狂人呼ばわりされようと、とりあえず日本中の注目を集められることはたしかなはずだ。そしてテレビや雑誌で“街中で3月11日東北地震を絶叫予言する謎のおばさん”ととりあげられるようになり、東北の人たちも3・11をとりあえず意識するようになるというわけである。
が、松原照子がそうした行動をとったという話はまったく聞かない。ブログでの予言は100%インチキだと思うが、1000歩ゆずって本当だったとしても松原照子に感謝をする人はひとりとしてあらわれることはないだろう。