大物には横柄な態度がよく似合う | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 私はこのブログとは別にミロクというニックネームで≪真・鉄拳王への道≫というブログを運営しており、鉄拳ブログ界の頂点に君臨している。そんな私はみずから“希代のカリスマブロガー”を名乗っているのだが、そんな私に対して次のようなコメントを入れられたことがある。

 

 
 「ミロクさんのこと少しきらいになりました。自分で自分のことをカリスマだなんて……」

 

 
 つまりこの人は、高慢な私の言動に嫉妬に駆られたというわけである。

 

 
 しかし、そうした感情は誤りであることを教えてあげよう。大物には横柄な態度が似合うのだから。

 

 
 たとえば小室哲哉の5億円詐欺事件のとき、紅白の司会をつとめたことがある上沼恵美子がこのような発言をしたと報じられた。

 

 
 「紅白の楽屋でのあの横柄な態度。あの頃からきらいでした」

 

 
 本当に上沼恵美子がこのような発言をしたのか?また、本当に紅白の楽屋で小室哲哉が横柄な態度をとっていたのか?真相は霧の中ではあるが、たとえ本当に小室哲哉が楽屋で横柄な態度をとっていたとしても、私はまったく不愉快にはならない。なぜなら小室哲哉は雲の上の偉人だからだ。雲の上の偉人なのだから、横柄な態度も傲慢な言動もある程度許されるのである。

 

 
 謙虚な態度の大物など、私は偽善たらしくてきらいである。たとえば漫画家の八木教広という人。この方の代表作に≪クレイモア≫という作品があり、私は第1巻から第17巻くらいまでしか読んでいないのだが、その1巻から17巻まで作者コメントに『よろしくおねがいします』という一言しか載せていないのだ。その一言コメントを見るたびに私はこのようなことを思った。

 

 
 『こんなすごい作品を描ける大先生なのだから、もっと偉そうなコメントを載せたほうがサマになるのに……』

 

 
 大物、巨星、スーパースターというのは謙虚な態度より傲慢な態度のほうが魅力的なのだ。代表例としては『ビートルズはイエス・キリストより人気がある』という言葉で世界中のクリスチャンから総すかんを喰らったジョン・レノンや、『あんたがさっさと上に上げてくれれば、もっと早く記録を達成できたんだがね』という言葉を吐いたメジャーリーガーのバリー・ボンズなど。

 

 
 ちなみにバリー・ボンズはワールドシリーズ準優勝に終わった年、とんねるずの石橋貴明とテレビ番組で野球対決をしたことがある。その際、次のような発言をしていた。

 

 
 「ワールドシリーズもひとりでプレイしてたら勝てたのにな」

 

 
 ワールドシリーズでバリー・ボンズはほとんどの打席を敬遠されたのだ。つまりチームが自分ひとりだけなら敬遠されることはなく、ヒットやホームランを打ちまくって勝利できただろうという毒舌である。最高にしびれる尊大スーパースターではないか!

 

 
 大物が傲慢な態度をとっても、それはむしろひとつの魅力となり、それに対して不快感を抱くというのはちょっとちがうのである。頭にくるのはたいした才能も、実力も、実績もなにもない凡人の分際で態度や口ばかりデカイ輩である。

 

 
 たとえば私には仲の悪い姉がおり、子供の頃のきょうだい喧嘩の際にこのようなことをいわれたことがある。

 

 
 「誰に口きいてんだよ!」

 

 
 姉はいったい何様なのだろうか?なんらかの分野において偉大な業績を残した大物なのだろうか?そうならばそうした偉そうなことをいえる資格は一応ある。が、姉がなんらかの分野で偉大な業績を残したという話は耳にしたことはない。よって姉に『誰に口きいてんだよ!』などという偉そうなことをいえる資格はないのであり、私の姉に対するむかつきや不快感も筋のとおったものになるというわけなのである。

 

 
 カリスマブロガーを名乗る私にある人は不快感を抱いたらしいが、本当に鉄拳ブログ界の頂点に君臨するカリスマの私がカリスマを名乗っただけなのだから、それに対して不快感を抱くというのは筋がとおっていないのだ。大物には高慢な態度がふさわしく、不快を抱くべきなのは小物の分際でいうことばかりがデカイたぐいの人間だということなのである。
 

 

 

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