私が保育園の頃の話である。ある日、赤はレッド、青はブルー、白はホワイトというふうに色を英語でいえるようになり、そのことを友達や先生に自慢したくて自慢したくてたまらない感情に襲われたことがあった。
そして私は胸の中で渦巻く不気味な感情を必死に押し殺しながら、保育園の友達や先生の前で英語をさりなげく披露したものだった。
これが私が人生ではじめて“自己顕示欲”という感情を抱いた思い出である。しかし保育園の頃はその自己顕示欲というものがどれほどに恐ろしいものなのかまったくわからず、そもそも自己顕示欲という名前の感情が胸に発生したということすらも自覚できず、小学、中学へと進級することとなった。
それからである。醜い自己顕示欲が巻き起こす陰惨な事件に巻き込まれ、苦い思いをしてトラウマをつくることとなったのは。
まずは小学生の頃。野球遊びの際にちょっとしたトラブルがあり、町の野球チームのエースピッチャーをつとめているらしいひとりの少年が、野球素人の私がバッターのときにピッチャーからボールを奪って得意のピッチングを披露し出したことがあった。無論、自己顕示欲を満たすためである。
相手は町の野球チームのエースピッチャー。バッターの私は野球経験0のド素人。私はたくさんの友達が見守る中、みじめなバッティングタイムを過ごすはめになってしまった……。
また、中学生の頃のことだ。卓球部だった私は他校と親善試合したことがあるのだが、私が戦うことになった他校の卓球部の生徒がこれまた自己顕示欲の塊の嫌味な奴で、相手の私が格下であることを悟った途端、延々と調子にのりまくって屈辱的な言葉を浴びせながら得点を重ね続け、ついにはこのようなことをいいながら最後の20点目をきめるサーブを放った。
「じゃあ、そーろそーろ」
格下の私は最初から最後まで手も足も出ず、底のない屈辱感に全身を襲われながら他校との親善試合を終えて帰らざるをえなかった……。
野球遊びのときの不愉快な事件も、卓球の試合のときの不愉快な事件も、なにもかも醜い自己顕示欲が巻き起こしたものだ。当時の私のような屈辱的な思いをした人など、きっと世の中に星の数ほどいることだろう……。
では、いかにしてこのような事件を防止すればいいのか?子供たちが保育園、幼稚園の頃から自己顕示欲について教えればいいのだ。
友達や先生に自慢したい、自分をよく見せたい、自分のことをよく思われたい━━そうした得体のしれない感情がなぜか胸の中に湧いてしかたがない。『その感情は“自己顕示欲”というものなんだよ』と先生が子供たちに説明するのだ。
当時の私は前述したように、色を英語でいえることを自慢したい感情が“自己顕示欲”という名前の感情であることなど知るよしもなかった。きっと世界中の保育園児、幼稚園児、小学生の子供たちも自慢したくてたまらない感情の正体が、自己顕示欲などという小難しい名前の感情であることなど露ほども知らないことだろう。そこで子供たちが幼い頃から自己顕示欲について教え込むのだ。
『友達に自慢したい、友達によく思われたい━━その感情は自己顕示欲というものなんだよ。誰の胸にも湧く自然な感情ではあるけれど、それをおさえずに自慢したりする行為は周りの人に不愉快を与えてしまう。だから自己顕示欲をおさえて生活するんだよ』━━子供たちが物心ついたあたりから、このように教育をコンスタントにくり返していくのである。それによって自己顕示欲が巻き起こす陰惨な事件は激減し、屈辱に襲われる子供たちもいなくなっていくというわけなのだ。