全国のメシアファンのみなさんに大ニュースがあります。このたび、わたくしメシアが運営するこのブログ≪メシアのモノローグ≫が書籍化されることになりました!!ちなみに値段のほうは1冊500万円です!お金にかなりの余裕があって相当の物好きな方、ぜひ近所の本屋でお買い求めください!
……というのはあくまでちょっとしたジョークである。このブログのいくつかの記事は近々現実的に書籍化されるとは思うが、まだ現時点では書籍化の話など砂粒ほども出てはいない。
しかし、もしもこのブログを書籍化するならば、私がつけようと考えている値段のほうは500万円くらいである。
500円のまちがいではなく500万円だ。たかが1冊の本になぜそんなべらぼーな金額がつくのか?理由は“それほどの価値があるから”というのもひとつあるが、私をきらう人たちの反応を楽しみたいのが最大の理由である。
1冊500万円もする本などまったく売れはしないだろう。しかし、売れようと売れなかろうと、そんなことは別にどうだっていいのだ。これから貨幣経済の存在しない理想世界に変革するのだから、私の生活に支障は微塵もきたすことはない。私が500万円という値段をつけたのはくり返すように、私のことを『きらいだ!』という人たちの反応をうかがいたいからである。
わたくしメシアのファンというのは完全に2種類に分かれる。私に好意や共感を抱いている人たちと、私に嫌悪や憎悪を抱いている人たちだ。後者の人たちは厳密には逆恨みなので、嫌悪や憎悪を抱かれるのは筋違いではあるのだが、とにかく私のファンの中にはファンであるにもかかわらず私のことをきらい、憎み、恨んでいる人が数多く存在するのである。
代表的な人物が元飯屋くん
軍団。彼の運営しているグルっぽをのぞいてみればわかると思う。彼らは私のことをバカだのアホだのどうだのと罵倒しまくっているにもかかわらず、そのバカでアホなどうしようもないやつのブログを欠かさずきちんと読み続けているのだ。
元飯屋くん軍団のような団体はほかにもいくつか心当たりがある。彼らは私のことを頻繁にバカにし、徹底的に敵対関係を築いているにもかかわらず、どういうわけか私のブログを隅から隅までむさぼるように読み続けているのだ。
以前、Aくん(仮名)という人から次のようなメールが届けられたことがある。
「パント関連しつこすぎる。女の腐ったみたいなやつだな!」
パントとは第1次アメブロ聖戦
で死闘を演じたMYBのパント総帥のことで、私は聖戦終了後も執拗にパント総帥関連の記事を書き続けていたのだ。そのことをAくんがつっこんだというわけなのである。
が、だ。Aくんは聖戦中、『俺はメシアはきらいだが……』という発言をしたことがあるのだ。
その“きらいな人間”のブログを、なぜにAくんは読み続けていたのだろうか?私がきらいだというのなら私のブログなど読まなければいいではないか。
私のことを『きらいだ』といいながら、ついついブログのほうは読まずにいられない━━そうしたたぐいのメシアファンが世の中に無数に存在するのである。私はそうした人たちの反応を見たいがために、書籍化された場合の≪メシアのモノローグ≫に500万円という値段をつけたいのだ。
1冊500万円する≪メシアのモノローグ≫。それもブログ未発表記事が10個ほど載っており、さらにビニールに包まれて販売されるため立ち読みも不可能。購入するかマンビキでもしない限り、文庫本≪メシアのモノローグ≫は読むことはできないのである。
私のことをバカだのアホだのとそしり、なにからなにまできらい、憎み続けている黒いメシアファンたち。断言しよう。君たちはぜったいに1冊500万円の≪メシアのモノローグ≫を購入することだろう。
黒いメシアファンの代表人物である元飯屋くんを例にしようか。さすがに500万円などという大金は貯められないので、グルっぽメンバーの人たちに『お金をみんなで出し合おうぜ』と話を持ちかけるのではないだろうか?『俺はリーダーだから20万は出す。おまえは10万出して、おまえは3万くらいでいい』━━こんな感じの会話がかわされるのではないか?(笑)
文庫版≪メシアのモノローグ≫は500万円なのだから、100人ならひとり5万円ずつ出せば購入できる。この先、500万円で書籍化される可能性を考慮して、元飯屋くん、グルっぽメンバーをもっとたくさん増やしたらどうだね?(笑) 200人なら2万5000円ずつでよく、500人なら1万円ずつでいいのだ。元飯屋くんがこれから先、グルっぽメンバーをどれだけ増やせられるか注目したいと思う。
……それにしても、500万円を払って購入したたった1冊の本を、元飯屋くん軍団は全員でページを破かないように、汚れないように、もちろんなくさないように、このうえなく大事に扱いながら回し読みをすることなのだろう。あるいはリーダーの元飯屋くんの家にみんなが集まって、元飯屋くんの朗読をみんなで聞いたりするのかな?まさに私のブログは彼らにとっての聖典と化すのだろう。このような想像をするだけで暇つぶしに困らない今日この頃なのであった。