メシアの論破ショーvs平杜カノンさん編パート④ | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 中途半端スピリチュアルブロガーの平杜カノン さん。彼女は以前、インディゴ・チルドレンを自称する私を次のように批判したことがある。

 

 
 同調を重んじ、独自の見解を恐れながらも独自の見解を持つ著述者を引き合いに出しながら、自身のアイデンティティを崇高に演出する人達は大勢居るようだ。

 

 彼らは自身の言葉に近しい文献を常に身の回りに並べ、彼らが居るから私の言葉が正しい…と言い張る事でのみ、自身の正当性を主張する事しか出来ない。

 
 又、自身と同じような価値観を述べる第三者が、自身を持ち上げない状況に対し憤慨しやすいのもこのタイプであり、彼らはさながら同じ宗教の中で互いに自身を崇拝し合いながら敵対している、仲間割れのような状況を案外と好んでいるようだ。

 
 インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン…といったものをここ数年間色々調べているが、自称者ないしはその文献を振りかざしエリート気分に浸っている多くの、クリスタルチルドレン信奉者達に見られるのは、実は自分自身がそうである…という第三者のお墨付きを得る為の文献羅列だったりする。

 

 
 ……その、いったいなにが悪いというのだろうか?

 

 
 インディゴ・チルドレンに非常に詳しいAさんという人がインディゴ・チルドレンの特徴をいくつかあげた本を書いた。

 

 
 その本を読んだ人が『自分に当てはまるものがいくつかある。自分はもしかするとインディゴ・チルドレンなのかもしれない』といった感情に襲われた。

 

 
 そして人に『インディゴ・チルドレンに非常に詳しいAさんの本に書いてある特徴にいくつか当てはまるものがあるから、私はインディゴ・チルドレンの可能性があります』といった。

 

 
 果たして、このなにがいけないというのだろうか?

 

 
 たとえば日本サッカー史上最大最高のストライカー釜本邦茂がフォワードに適任な特徴をいくつかあげた本を書いたとする。その本を読んだディフェンダーのサッカー少年が『釜本さんの本に書かれている特徴に当てはまるものが多くある。自分はもしかするとフォワードに向いているのかもしれない』といった感情に襲われたとする。

 

 
 そして友達などに『日本サッカー史上最大最高のストライカー釜本さんがあげたフォワード向きの特徴にいくつか当てはまるものあるので、自分はディフェンダーよりもフォワードに向いているのかもしれない。釜本さんのあげた特徴なのだから信用できる』といったとする。

 

 
 これとまったく同じ話である。

 

 
 また、カノンさんは偽クリスタル・チルドレンのAくんに対して怒りをあらわした私の記事についてこのようなことをいっていた。

 

 
 独自の見解を世界で最初に書かない彼らの心意とは、照合文献をともなわない事が生む自身の文字の孤立化に対する恐れである。

 
 なので常に、同じ思考を持つ第三者を身近に寄せ付け、彼らが自身を崇拝している… その関係性を長期的に維持しようと懸命になり、そうではない関係性のほつれが少しでも見えてくれば簡単に、あっけなくキレてヒステリーを起こすのだ。

 

 
 ……カノンさんは私の記事をきちんと読んでいるのだろうか?私とAくんは当初は仲が良く、ある時期からAくんがなぜか不愉快なコメントを送りつけるようになってきたのだ。しかし、まだ私はキレてヒステリーなど起こしてはいない。

 

 
 そしてあるとき、私の記事≪たぶん世界一わかりやすいメシア的アセンション講座≫というものにAくんが≪分かりにくい≫などという失礼なタイトルのコメントを送りつけてきたのだ。が、それでも私はまだ怒りをこらえ続けていた。

 

 
 そこからさらにひと悶着、ふた悶着あり、それでようやく堪忍袋の緒が切れて≪メシアが偽クリスタル・チルドレンを斬る!≫を書くにいたったというわけなのである。『簡単にあっさりキレてヒステリーを起こす』といういい方が不適切であることはこれ以上説明不要だろう。

 

 
 それからカノンさんは●●チルドレンなどを自称する人たちのことを“選ばれた特別なエリート気取りの連中”と非難しているのだが、それはどっちもどっち、お互いさまである。

 

 
 本物のインディゴ・チルドレンである私にはそうした意識はないが、功名心から●●チルドレンを名乗っている偽者の中には『自分は地球を救うために選ばれてやってきたヒーローなのだ!』といった優越感に浸っている者は多くいることだろう。

 

 
 しかし、それは●●チルドレンを自称する人たちを批判する側にも同じことがいえる。批判者の中には真摯に批判している人もいれば、自称●●チルドレンたちの嘘を暴く知的なヒーローとして注目されたいという功名心を持った人も多くいることだろう。

 

 
 選ばれた特別なエリート気取り━━それはカノンさんのような人間にも当てはまるのである。

 

 

 

目次へ

メシアのモノローグへ