私のアメブロ生活最大の大事件、第1次アメブロ聖戦。これはパントさん率いる反メシア派の組織MYBと、私が率いる警世組織ワールド・ルネッサンスとの間に起こった戦いのことである。当時のことを知っている方々はしばらくトラウマとなって頭から離れることのない日々を過ごしたと思われる。
当人の私も極めて不安定な精神での日々が延々と続き、ほぼ孤立無援の状態で孤独な戦いを続けるしかなかった。
そう。『私が率いる……』などといいながら、みんなパントさんが怖いらしく誰も力を貸してくれなかったので、ほとんど私ひとりだけだったのだ……。
そんな第1次アメブロ聖戦も《人は皆弱い生き物》の記事によって本当の終焉をむかえ、私もメシアとしてのブログを一新させ、さらにミロク・Bというニックネームで新しいブログをスタートしたりもした。すべては第1次アメブロ聖戦のことを忘れるためであり、1日でも早く第1次アメブロ聖戦の記憶が薄れていくことを祈りながら新しい気分で、新しいブログで、新しい友人ブロガーたちとともに新しいブログ生活をはじめ出したのだ。
しかし、そんな私の祈りも天に通じることはなかった。私と第1次アメブロ聖戦を戦った天敵パントさんが、執拗にコメントやプチメを送り続けてきたのである。
ちなみにこの記事の前の記事を公開した直後にもプチメを送ってきていた……。
パントさんのことも第1次アメブロ聖戦のことも記憶の棚の隅っこに置いて新しい生活をはじめたいと願い続けているというのに、これではいつまでたっても気分をきりかえて新しいブログに打ち込むことも日常生活をおくることもできない。よって《人は皆弱い生き物》を本当の、本当の最後の記事として発表したのではあるが、今回のこの記事を第1次アメブロ聖戦に終止符を打つ本当の、本当の、本当のラスト記事にしたいと思う。
第1次アメブロ聖戦終了後、私に執拗にコメントやプチメを送り続けてきたパントさん。
コメントやプチメを送れるということは、アメブロにい続けているということである。
私は《人は皆弱い生き物》をはじめとする数々のパントさん関連記事で、パントさんの犯し続けてきた悪事と非道を書き続け、パントさんの極悪ぶりや外道ぶりを限りなく細かく説明し続けた。そのとどめとなったのが《人は皆弱い生き物》の記事なのだが、あの記事公開後もなおアメブロにい続けているところを見ると、相変わらずおつむの弱いアホ信者たちを自分の家来にした日々をおくっているのだと予想される。
普通の知能と普通の読解力さえあれば、《人は皆弱い生き物》の記事によってパントさんの正体と外道ぶりを簡単に理解できるはずだ。そしてパントさんの周囲のアメブロガーの9割以上がその“普通の知能・普通の読解力”の持ち主だったなら、嘘といいわけをくり返す卑怯の帝王パントさんに愛想をつかして絶交しているはずなのである。
そしてやがて居場所がなくなったパントさんがアメブロから誰にも知られずに姿を消していく━━私はそのような展開を予想していたのだ。が、私にコメントやプチメを送ってくるところを見ると、相変わらずのほほんとアメブロライフをおくっているみたいである。
おそらく知能がまだ未発達の子供たちや、理解力・読解力が先天的に欠落している人たちをうまいこといいくるめて、“自分が被害者でメシアが加害者”、もしくは“自分は哀れなメシアくんを救うために活動をしている”みたいなイメージを必死に植え付け続けているのだと思われる。
子供たちやもともとアホな人たちはしかたないといわざるをえない。人の説明を理解できる知能を神様に与えられなかったのだから。しかし説明を理解できる知能を神様から与えてもらった人たちが、パントさんの家来の中にかつて存在していたことを私は覚えている。
第1次アメブロ聖戦最大の戦いとしてアメブロ史にその名を残す《“隠された窓”についての陣》で私と戦ったメサイアくんという人物とカオスさんという人物だ。
彼らはきちんとURLを公開し、最初から最後まで一応正々堂々とこの私と戦いぬいた。しかし徐々に言葉をなくしていき、ついにはコメントをまったく入れない状態に陥ってしまった。
私の意見がどれも正論ばかりであることを理解できていたからである。
相手の意見は正論なのだから、反論の言葉が思いつかないのは当たり前のことだ。そのためにメサイアくんとカオスさんは徐々に切り返す言葉を失っていき、私のセイロンエクスカリバーの(略してセイリバーと呼ばれることもある)の前に沈黙せざるをえなくなったのである。
私の強大さとパントさんの外道ぶりを世に知らしめた第1次アメブロ聖戦最大の戦い、《“隠された窓”についての陣》をパントさんに代わって私と戦いぬいたメサイアくんとカオスさん。あれ以来このふたりとの関係もたったのでなにをしているのか知らないが、少なくとも彼らは私の意見、説明、理論が筋の通った正論であることを理解できる知能レベルなのである。
子供たちやもともと低能な人たちは別として、少なくとも彼らはパントさんに愛想をつかして関係をたってくれていることを願っているのだが……。
そろそろこの記事も終わりである。きっとパントさんはこの記事を読み終えたあとも私にコメントやプチメを厖大に送りつけてくることだろう。しかし私はパントさんのコメントもプチメもすべて読まずに削除するし、たとえ電話をかけてきても出ることはない。
そもそもそうした行為自体が壮大な矛盾なのである。
パントさんは《残念ですが…》という記事の中でこういった。『メシアくんにはかかわることを控え、読者として見守っていくことにします』と。ならばコメントもプチメもなにも送らないのが筋だろう。電話など論外である。私とかかわることを控えるのなら、私がパントさんに関するどんな記事を書こうと黙り続けるべきだろう。
メサイアくん・カオスさんレベルの知能の持ち主なら、今の私の意見が完璧な正論であることを理解できるはずだ。
しかし、それでもパントさんは自分のブログの中で苦しいいいわけ記事を公開し続けると思われる。が、私はそれでも別にかまわない。私がパントさんに求めているのは肯定と謝罪なのだが、パントさんは自分のまちがいや罪を肯定もしなければ、私に対して謝罪をすることもないだろう。それでもいいといっているのである。ただ、私は第1次アメブロ聖戦の記憶を早く薄れさせたいので、コメントやプチメを送るような真似だけはぜったいにしないでもらいたい。
パントさん、そしてパントさんを盲信する信者の方々、ご自由にどうぞ。私が正しいか、あなたたちが正しいか、いずれ歴史が証明してくれることだろう。なにせ私の正体は……