私の読者のひとりでもあるなんでも屋パントさんという方の勘違いで巻き起こった“パントさん事件”。このブログをはじめて訪れた方は私の記事のひとつ《Pさんという方から寄せられたとあるメッセージについて》から順を追って読んで確認してくれ。
その“パントさん事件”の際、私はパントさんを完膚なきまで論破してパントさんの姿を約1週間アメブロから消し去った。そして私はきっとパントさんは深く反省して心を入れ替え、誤解の記事をすべて削除して1からブログ生活をスタートしてくれるものと思っていた。そんなパントさんをフォローするべく、私はとある記事の中にこのようなことも書いたほどなのだから。
パントさんは悪人ではない。ルームの“尊敬する人”のところに母と書いているのだから。母親を尊敬する人が極悪人のわけないではないか。
私のこうした文章を読んでパントさんの心に大きな変化が訪れ、私への謝罪の意味も込めて誤解の記事をすべて削除してくれるものと期待していたのだ。
ところがである。パントさんのブログを訪れてみればわかることなのだが、私に敗れてからブログ復帰を果たしたパントさんのブログ内容というのは、なんと私の記事をやり玉にあげて数少ない読者の仲間たちとあざけり笑うというものだったのである。
ある程度の常識を兼ね備えた人ならば『このパントという人はなにをやってるんだか……』とあきれ返って言葉をなくすだけだろう。
私の記事をコメント欄の中で数少ない仲間たちとあざけり笑うブログを公開し続けるパントさん。きっと彼は私に敗れてから1週間、いかにして憎きメシアに復讐してやろうかと死に物狂いで頭を働かせ続けていたことなのだろう。そしてたどり着いた方法が私の記事を“勉強会”と称して仲間たちとバカにするというものだったのである。
パントさんの勉強会ブログを読めば読むほど『メシアの野郎、年上の俺にあんな恥をかかせやがって!へへへ、どうだメシアくん?自分の記事をみんなからバカにされて悔しいだろう?ざまあみろ!』といったパントさんの心の声が明確に聞こえてくる……。
パントさん一味の勉強会ブログ━━これはよほどのまぬけでない限り、このうえなく幼稚で恥ずかしい行為であることは万人が理解できるだろう。しかもパントさんというのはくり返すように、私より年上の常識あるはずの大人なのである。
が、だ。パントさんの気持ちは痛いほどよくわかる。私を相手にあんなにも、あんなにも、あんなにもぶざまな敗戦を世にさらしてしまったのだから。私の全身をばらばらにして煮て食いつくしても飽き足らないほどだろう。ことのきっかけはパントさんの誤解からであって、それは単なる逆恨みでしかないのだが、羞恥心と屈辱感の地獄の中の地獄を味わったパントさんの私への果てしない憎悪はよく理解できる。
そんなパントさんなのだが、私は“パントさん事件”が起きていた頃、きっとパントさんというのは数百人もの読者を抱える人なのだとばかり思っていた。
“パントさん事件”の頃、私はありとあらゆる様々なニックネームの人たちから批判や罵倒のコメントを送られた。無論、全員パントさん一味の人たちである。そのため私はパントさんというのは数百人くらいの読者を持つブロガーなのだと思っていたのだ。ところが“パントさん事件”が終了してしばらくたってからパントさんの読者数をよく確認すると、なんと私を含めてわずか10数人ぽっちしかいなかったことがわかったのだ。
“パントさん事件”当時、私には150人ほどの読者がいた。150人である。その私に向ってパントさんは『人としてなにも感じませんか?』『メシアという名に見合う聖人君子になりなさい』といったご立派な言葉を多くの人々の先頭に立って吐いたのだ。
想像してみてくれ。もしもこうした事態に直面したとき、だいたいの人が『ああ、たぶんこの人は自分より遥かに多くの読者を持つ有名なブロガーなんだろうなぁ』といった感情を抱くはずである。私も当時はそう確信し、パントさんは最低でも自分の倍の300人以上の読者を持つ人なのだろうと思ったものだった。しかしのちによく確認すると、パントさんの読者数はわずか10数人ぽっちだったのである。
読者数10数人の人が、読者数150人の人に愛と正義のリーダー面で『自分の表現方法を変え改めなさい』などとぬかしたのだ。こうした新事実からもパントさんというのは本当におめでたい人だったんだなと改めて痛感してしまう。
ちなみに以前パントさんは『僕は自分のことを愛と正義のリーダーだなんていってないよ』と反論したが、前述した言葉の数々は“愛と正義のリーダー然とした言葉”であることはこの世の誰にも否定不可能なはずである。よってパントさんの屁理屈は通用しない。
さて、そんなパントさんの数少ない仲間たちとの勉強会ブログなのだが、パントさんは私の記事のひとつ《『北斗の拳』を笑いのネタにする連中について》を採り上げた記事の中にこのようなことを書いている。
『北斗の拳』は僕も好きな漫画のひとつです。
しかし、あくまでも漫画と現実はちがいますよね?
実際問題、漫画のような世界は現実には存在せず……
……こんなこと、私のブログのコメント欄に書けばいいことではないか。そんなこと子供でもわかる。
パントさんの10数人の読者たちも私の記事についてあーだこーだといっているが、彼らも全員そろって私のブログのコメント欄にいいたいことを書けばいいではないか。人の記事についての感想を自分のブログに書く必要性などまったくない。賛辞ならば許されるかもしれないが、パントさん一味の感想はほとんど批判や罵倒なのである。
パントさん、私の記事にいいたいことがあれば私のブログのコメント欄に書けばいいのではないのか?これは完璧な正論でしょう?答えを聞かせてください。
……なになに?あくまでも勉強会であって、あなたの記事を罵倒した覚えはない?そうかな?パントさん?ある読者が『たかが漫画にうざいんだよ』といったコメントを寄せていたのを私ははっきり覚えているのだが……。
ところでパントさんは以前、《残念ですが…》という記事の中で私にこのようなことをいってましたよね?
人を小バカにし、皮肉った内容のあなたの記事に……
人を見下し、人をあざけることのない聖人君子として現実的に考え行動してください。
……はて、この言葉は今のパントさんに向けられるべき言葉ではないだろうか?私の記事を無断で採り上げて小バカにし、皮肉り、あざけ続けているのはどこの誰なのだろうか……?
……なになに?あくまでも、あくまでも勉強会であって、あなたの記事をあざけているわけではない?しかし前述したように私の記事をけなすコメントが寄せられていたし、中傷ではなくても批判や論駁ばかりである。また、私の文体や見解を否定的に解釈するものばかりで、私のブログの印象をよくすることに一躍買っている部分はまったく存在しない。
パントさん、私のこの意見は完璧な正論でしょう?答えを聞かせてください。
……が、100歩ゆずって、パントさんのブログがあくまでも純粋な勉強会だったとしよう。しかし、ここでひとつの疑問が発生する。テーマに採り上げるブログが、なぜ毎回私のブログばかりなのだ?別にほかのブロガーの記事でもよさそうなものではないか。
たとえば、ナンバーワン人気の上地雄輔くんのブログなどはどうだろうか?次の次くらいの勉強会のとき、テーマにぜひ上地雄輔くんのブログでも採り上げてみてはどうだろうか?
そうした著名人の人気ブログではなく、なぜ世間的にはほぼ無名の私のブログばかりをテーマに採り上げるのか?パントさん、この質問にぜひ答えてもらいたい。
もうひとつ。私の記事を採り上げるにしても、なぜ毎回私に無断で採り上げるのか?議論のテーマに採り上げたいのなら本人に『採り上げてもいいですか?』と承諾を求めるのがルールではないのか?パントさん、この質問にもぜひ答えてもらいたい。
まあ、パントさんが一風変わった荒らしだというのなら話は別だが……。
というか、いっそのこと『そうだよ!僕はただ憎たらしいメシアのブログをバカにしているだけの荒らしだよ!』と開き直ってくれてもいい。いや、むしろそうしてくれたほうが、てっとり早くとあるひとりの少年が真実に目覚めることができる。
パントさんの勉強会ブログに参加してきたブロガーの中にひとりの少年がいる。彼はパントさんのとある記事にこのようなコメントを寄せている。
メシアさんがいないほうが世の中が平和だと思う。
メシアさんが知り合いじゃなくてよかった。
メシアさんにはいなくなってほしい……
……パントさんの勉強会と称した私への当てつけ批判ブログを見せ続けられて洗脳されてしまっているようだ。
彼はまだ右も左も知らない子供なので、どれだけ理論的に説明をしてもパントさんの勉強会ブログが私をおとしめるための謀略であることを理解するのは難しいだろう。そのためパントさんにはぜひ『そうだよ!僕はメシアのブログをバカにしているだけの荒らしだよ!』と開き直ってもらいたい。そのほうがこちらも手間がはぶけるので。
……が、とはいうものの、そんなことパントさんはとっくのとうに百も承知のことなのである。パントさんの勉強会ブログはあくまで憎き私をおとしめる意図のものであり、それ以外に意図や目的など存在しないのだ。それをわかりつつあのようなまぬけブログを公開し続けているのである。
心理学に“ジョハリの窓”という言葉がある。これは人間誰しも心に4つの窓を持っているというものなのだが、その4つのうちのひとつに“隠された窓”というものがある。
“隠された窓”━━これは心の底では自覚しているのだが、プライドや自尊心を守るべく強がったりごまかしたりする部分のことだ。まさにパントさんの心は“隠された窓”に支配されている状態であり、常識ある大人として恥ずかしいこと極まりないバカをやっていることを自覚しながら私に不快を与えるブログを公開し続けているのだ。
中心人物のパントさんは自分の犯しているバカを自覚できている。さて、パントさんに群がる10数人の読者たちは、自分のやらかしている痴態に気づいているだろうか……?