いじめ被害者たちの風貌について | メシアのモノローグ~集え!ワールド・ルネッサンスの光の使徒たち~

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混迷をくり返す世界を救うべく、ひとりでも多くの日本人が現代に生を受けた意味に気づかなければなりません。世界を救うのはあなたの覚醒にかかっているのです……。

 最近はほとんど放送されないのだが、つい10年ほど前はよくいじめ被害者の子供たちが出演してみずからの体験談を語ったりするテレビ番組が放送されていた。

 


 その中でいろいろなタイプのいじめ被害者が様々な体験談を語っており、『世の中にはこんな体験をしている人がいるもんなんだなぁ……』とため息まじりに感慨にふけったものだった。

 


 そんないじめ被害者の子供たちの中で、私がふと眉を寄せてしまう奇異な存在の子供たちがよくいた。その子供たちとは髪型や服装などが明らかにおかしい子たちなのだ。

 


 髪型や服装などが明らかにおかしい子たち━━彼らもみずからのいじめ体験を発表したりしており、中には自分といじめ加害者以外にはわからない複雑な事情が存在するみたいなことを口にしていた子もいたのだが、彼らがいじめにあった原因は複雑なものでもなんでもなく、どう考えてもその明らかにおかしい髪型や服装のせいなはずである。

 


 いじめ被害者の子供たちの中にはオシャレな風貌の子もいれば普通の風貌の子もいる。そんな子たちの中にどう見ても髪型や服装がおかしい子がまぎれこんでいることがあるのだ。

 


 その子がいじめにあった理由はくり返すようにその明らかにおかしい風貌のせいであって、細々とした複雑な理由などおそらく存在しないのである。

 


 そして明らかにおかしい風貌の子をいじめた加害者たちの子たちには、ほぼ罪はないといえるだろう。

 


 まだ遠慮というものを知らず、平均から少しでもはみ出たものに強烈な関心を示してしまう子供たちが、明らかにおかしい風貌の子をいじめのターゲットに選んでしまうことはしかたのないことといえる。

 


 明らかにおかしい風貌ゆえにいじめにあった子供たちは限りなく哀れであるし、まったく許されるものではないものの、だからといって加害者の子供たちを責めるのは酷な話である。

 


 いじめにあいたくなければおかしな風貌をやめればいいのであり、少しでも変わったものに尋常でない関心を示してしまう加害者の子供たちを全面的に悪ときめつけるのは無理があるだろう。

 


 なにも金をかけて最新の流行ファッションで全身を覆う必要などない。ただただ普通の恰好をすればいいのである。たったのそれだけで浴びせられ続けていたいじめという名の槍の嵐は、急激に激しさを失っていくはずだ。



 ところで、なぜ明らかにおかしい髪型や服装の子供たちが多くいるのか?理由はすべて親にあるといえる。

 


 親に平均レベルのファッションセンスさえあれば、その子供が明らかにおかしい風貌になることはぜったいになく、罵声や嘲笑の雨を浴びせられることもないのだ。

 


 たとえば私は子供の頃、髪型や服装はすべて母のいうとおりにしていたのだが、そのためにあざけりにあったことは多くある。

 


 今は坊主頭の有名人も多くいるので、坊主頭もひとつのファッションとして定着しつつあるが、私が子供の頃の坊主頭はダサさの象徴といってよく、母のいうとおりに床屋で坊主頭にしてもらい続けていた私はさんざんなあざけりを受けたものだった。

 


 また服装にしても、だいたい3つくらいのものを順番に着続けていた感じだったので、少しでも変わったものに強烈な関心を示して言動に出してしまうクラスメイトの子に『昨日と同じ服着てない?』などと揶揄されたこともあった。

 


 とにかく、明らかにおかしい風貌のいじめ被害者の子供たちを生み出しているのはすべて親であり、これから世界中の親たちには自覚を持って自分の子供の風貌にもっと気を配ってもらいたいと思っている。

 

 

 

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