宗教と宗教を超える道 第10回 戦後70年 日本の戦争と宗教 | 上祐史浩

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               宗教と宗教を超える道 第10回

            戦後70年、日本の戦争と宗教、その超越。


 今年は戦後70年です。各種報道でも、この話題が徐々に取り上げられ始めています。そこで、日本の戦争と宗教に関して、私が思うところをお話ししたいと思います。

 大日本帝国の戦争は、宗教的側面から見れば、日本を神の国とする国家神道の体制に基づいて行われました。

 そして、合理的に考えれば勝てるはずのない米国に対して戦争を行なった理由の一つは、神の国である日本は敗けるはずがないという盲信でした。当時の軍の最高幹部は、米国と戦わずして引き下がることは、(神の国である)日本の精神の滅亡だと主張したと言います。

 天皇を現人神とする大日本帝国の国家神道の体制は、キリスト教をもつ欧米列強に対抗するために作られたと言います。というのは、明治維新の際に、列強を視察した伊東博文などの日本人は、世界に進出(侵略)する欧米諸国の強さの原因の一つは、キリスト教だと考えたのです。

 キリスト教が、国家の精神的なまとまり・団結力・勤労精神・産業力を支え、さらには、その布
教が植民地侵略を正当化していた面があったのでしょう(初期の植民地侵略は、カトリック教会自体が、植民地を含めた政治を支配さえしていた)。

 国家神道の体制の形成の過程で、仏教は弾圧されました。聖徳太子が仏教を導入して以来、神道と仏教を融合した日本独自の神仏習合の伝統文化も否定されました。 


 仮に仏教が守られていたらどうだったでしょうか。神仏習合型の宗教である修験道において、日本を代表する指導者の一人は、仏教ならびに神仏習合の否定が、大日本帝国の暴走に繋がったという考えを持っています。

 そうした一面もあったかもしれないと私も思います。

 そもそも、仏教は、中国・朝鮮から日本に伝来しました。大日本帝国は、そこに進出(侵略)し
たのです。日本を代表する聖人である聖徳太子の仏教の師は、中国人でした。その聖徳太子の前生が、中国高僧であったという伝説もあるそうです。

 さらに、弘法大師空海、伝教大師最澄は、中国に留学して教えを学びました。遣隋使・遣唐使の時代ですね(なお、聖徳太子の前生とされた中国の高僧が、最澄が日本に伝えた天台宗の始祖の師匠です)。

 仮に、日本が、明治維新後も、仏陀の教えを奉じていたならば、その教えを伝え教えた国々を侵略したでしょうか。

 当時の富国強兵を掲げた明治の日本には、軍事力が弱く、列強の侵略を受けていた中国や朝鮮を尊敬する理由がなかったのでしょう。宗教面での尊敬・経緯・感謝が、中韓にあったならばどうなっていただろうかと思います。

 仏教は、本来は、日本から朝鮮・中国・チベットまでが共有する伝統文化です。

 しかし、仏教を廃した大日本帝国は、中国・朝鮮を侵略しました。

 さらに、共産主義と文化大革命で仏教等の宗教を否定した中国共産党は、仏教国のチベットを侵略しました。中国は元の時代は、皇帝がチベット仏教を信奉していたと言います。

 そして、大日本帝国の侵略の傷跡と、チベットの人権問題は、今現在も続いている問題です。


 国境を超えた団結を形成する最も強力なものが、宗教だと思います。ヨーロッパが、EU連合として一つになろうとしているのは、国は違えど、皆がキリスト教徒である、ということが大きいと
言われています。イスラム教徒の国境を超えた団結・ネットワークも良く知られています。

 もちろん、この宗教による国境を超えた連合同志が、キリスト教国とイスラム教国のように、
戦争する場合もあります。自分達こそが最高・唯一と考える信仰は、多くの場合は、他を暴力をもって排除してよいという思想とセットとなることは間違いないと思います。


 それはともかく、もう一つ印象深く思うことは、日本の対米戦争の開戦日が、12月8日であっ
たことです。真珠湾攻撃の日ですね。

 この日は、あまりよく知られていませんが、日本の仏教徒にとっては、キリスト教徒にとってのクリスマスのような日なのです。仏陀が成道した、悟って仏陀になったとされる日です(ただし、日本仏教の習慣であって、他の国の仏教のものではありません)。

 キリスト教国の戦争では、クリスマス休戦という言葉をよく聞きます。イエスの誕生した日くら
いは、戦争を休戦しようというものです。仮に明治の日本が仏教を奉じておれば、12月8日の開戦はなかったかもしれないと思います。


 もちろん、仏教を戦争の正当化に大々的に使うなどしておれば、どうなったかは分かりません。

 実際に大日本帝国の際も、国柱会など、日本軍の幹部(石原莞爾など)が、法華経・日蓮の思想を解釈し、日本がアジア・世界を統治するべきであると考え、中国への軍事進出を強行した事例もあると聞きます(満州事変など)。

 古くは、戦国時代に織田信長と戦った勢力の中に、一向宗(浄土真宗)の信者や、比叡山の僧兵が存在しました。一向宗は、信者に対して、織田信長と戦えば、死んでも極楽浄土に行くことができ、戦いから逃げれば地獄に行くと言って、信者を戦争に向かわせたそうです。

 こうして、国家神道、キリスト教、イスラム教に限らず、仏教についても、その解釈によっては
、戦争を正当化する思想となると思います。

 しかし、こうした仏教の解釈は、国家神道やキリスト教と同じように、特定の仏陀・経典・宗派を絶対視するタイプのものです。それによって、それを報じる自分たちを絶対化し、その軍事行動を正当化するのだと思います。


 これに対して、私が書いている「心の安定のための思考法(人生哲学)」のブログのシリーズ記事において時々ご紹介する仏教の中の人生哲学は、何か特定の崇拝対象を信じるものではありません。それは、釈尊が説いた、信仰ではなく、心の安定=悟りを得るための哲学に由来するものです。

 それは、数千年の心の問題の探求の結果であり、高度な心理療法の効果を持つ人生哲学だと思います。

 それは、宗教としての仏教ではなく、人生哲学としての仏教です。仏教は、信仰、哲学、心理学といった要素を含んでいます。信仰、特に盲信の部分ではなく、その人生哲学・心理学の部分を私は活かしたいと思っています。

 そして、幸いにも、ブログの記事を読んだ多くの方から、心の苦しみが和らいだというメールを
多数いただいております。大変うれしいことです。しかし、これは、私が書くずっと以前い、イン
ドから、チベット、中国、朝鮮とわたって、日本に伝来した智恵でした。

 その中には、開祖のゴータマシッダルーダの苦労から、西遊記で有名な玄奘三蔵の17年の求法の旅を含め、実に様々な国内外の人たちの命がけの努力があったことは、忘れることができないと思います。

 そして、未来において、人の心の問題を和らげる仏教哲学の真の価値が、日本を含めたアジア社会に広く理解される時が来るならば、それを伝統文化として共有するアジアに、平和の輪を作る助けになるかもしれないと私は夢想しています。