心の安定のための人生哲学 第22回 孤独の苦しみを超える | 上祐史浩

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             心の安定のための人生哲学 第22回
                 孤独の苦しみを超える


 今回は、孤独の苦しみに関してお話しします。

 これについても、私がお話しするのが適任かはわかりません。私は、ご存じのとおり、今現在、比較的多くの人と関係しながら生きているからです。
 
 しかし、私は、4年間以上、拘置所や刑務所で、一人で生活しました。普通は、他の人たちと一緒の部屋で生活するのですが、私は諸事情から、独居となったのです。そして、私を監督する担当者とのごくわずかな会話以外には、全くと言っていいほど、話すことがありませんでした。

 もう一つ、孤独には、物理的な孤独と、精神的な孤独があると思います。コンクリートジャングルという言葉があります。ビルが林立する都会をジャングルに見立てた言葉です。

 しかし、ジャングルは、ある意味で弱肉強食の世界です。大勢の人がいる都会に住んでも、競争社会、自己愛型社会と言われる中で、周りが敵ばかりに見えれば、孤独感は強くなると思います。

 田舎の大家族・地域コミュニティが崩壊し、大都市に人口が集中しながら、核家族化、晩婚化・少子化、近隣関係の希薄化が進みました。

 さらに、激化する経済競争の中で、会社も、昭和期の共同体・家族的な性質を失なって、競争の場、戦争の場と化したという話もあります。

 こうした中で、私が相談に乗る人たちの中には、自分を認めてくれる人がいない、自分を分かってくれる人がいない、という人が、少なくありません。

 再び、私について言えば、東京に住み、メディアやネットで注目されているようですが、多くの人は、オウム時代の過去のために、私を敵だというイメージでとらえている人も少なくないと思います。

 私自身が知っている「今現在の私の真実」と、他人が抱いている「私のイメージ」が、私から見ると、フィクションの物語のように、かけ離れているのです。これは結構、孤独な状態と言えるかもしれません(言えないかな笑)。

 もちろん、逆に応援してくださる方も大勢おり、徐々に増えているので、感謝しています。

 ともかく、こうした私個人の強烈な物理的・精神的な孤独の体験と、仏教哲学・心理学などの智恵を土台として、孤独の苦しみをどのように和らげていくかについて、お話ししたいと思います。

 なお、話が前後しますが、この孤独・寂しさというのは、ある意味で、現代人にとって、最大の苦しみかもしれません。

 自殺に至るケースも、自分の悩みを打ち明ける相談相手がいないケース、孤立したケースが多いとも言われます。

 これを逆に言えば、次のような考え方があります。


 「真の強者とは、孤独に強い者である」


 「最高の心の宝である慈悲とは、孤独を経験した者こそが、
  持つことができるものだ」

 どうでしょうか。

 こうして、私がお話しする、孤独を乗り越える道とは、このシリーズのこれまでのお話とは、ほんのわずかだけ違う何かがあります。本質的な理論は同じなのですが、何かが違います。

 それは、私にとって、非常に尊い何かに関連しており、この感覚を言葉で表現するのは難しいのです。

 あえて言えば、孤独の中にこそ、最も尊い、神聖という言葉さえ使いたくなるような、本当の幸福への道があると思っているからかもしれません。


 言い換えれば、今孤独に悩んでいる皆さんは、現代社会の人々が、なかなか手に入れることができない心の宝に対して、非常に近いところにいるかもしれないのです。

 では次回以降、孤独を和らげるお話をしたいと思います。適切に表現できることを祈りつつ。