心の安定のための人生哲学 第21回 急がば回れ=焦りに注意                  | 上祐史浩

上祐史浩

オフィシャルブログ ―― 21世紀の思想の創造

           心の安定のための人生哲学 第21回
          
              急がば回れ=焦りに注意
 
 
 これまで、いろいろな心の問題に関して、それを和らげる考え方・生活規範・修練法・人生哲学などについてお話ししてきました。

 そうしたものを学んで試してみるときに、一つ注意した方が良いことがあります。これがすべてに人に当てはまるかは分かりません。しかし、私の経験からは、少なからぬ人たちが、引っかかる問題です。

 それは、焦りすぎないことです。


 ここでお話していることは、今まで皆さんが馴染んできた考え方、心の持ち方では、必ずしもありません。なぜならば、馴染んできた考え方・心の持ち方こそが、問題を生じさせている場合は、それを修正しなければならないからです。

 しかし、それを焦って修正しようとすると、逆効果になる場合があります。「すぐに身に着けたい」と思うことは、決して悪いことではありません。しかし、すぐに身に着かないからといって、否定的になる場合があるのです。

 人の考え方、心の持ち方は、一朝一夕で作られたものではなく、これまで繰り返されてきた習慣です(仏教では業(カルマン)と言います)。

 だから、その習慣を修正するには、繰り返し練習することが必要な場合があります。つまり、悪い習慣を良い習慣が相殺している過程です。

 その中では、自分が練習を繰り返し、一歩一歩前進し、その結果、少しずつ手ごたえを感じ、それがまた、さらに前進する力になるパターンもあります。


 さら言えば、場合によっては、自分の抱えている問題の根本原因こそが、焦りである場合があります。

 たとえば、鬱病などの場合、焦って直そうと無理すると、逆効果だと言われることがあります。そして、人によっては、鬱病になった原因の中に、焦り・とらわれ過ぎがあると思うのです。

 焦りすぎの性格から、心の問題、不安・恐怖・卑屈・鬱などが生じているのであれば、それを直していく過程の中に、徐々に焦りすぎの性格を修正していく練習が必要ということになります。

 そうしなければ、堂々巡りになるわけです。


 その意味で、「急がば回れ」とはよく言ったものです。これは、「急ぎたいならば焦るな」。「焦り過ぎないことが最速の道だ」という真実を表しています。

 なお、これは、急ぎすぎ、焦りすぎを戒めているのであって、「だらけていれば良い」と言っているのではありません。あくまでも、加減の問題、程度問題であって、行き過ぎを戒めるものです。言い換えると、バランスが大切だということです。

 また、これは、「勝つと思うな、思えば敗けよ」という言葉にも通じると思います。勝ちたいならば、勝ちたいとばかり思いすぎるな。逆に少し肩の力を抜いた状態、難しい言葉でいえば、無心・無我の状態こそ、最強である、ということでしょう。

 私は、人前でお話をするときに、うまくやろうという気持ちが強すぎると、不安になることが時々あります。そうした場合は、「うまくやろうと思わない方(思いすぎない方)がうまくいく」と自分に言い聞かせます。

 事前に、どうしたらうまくいくかを考えて、準備に努めることは必要です。しかし、直前となると、それが行き過ぎても、逆効果になると思います。直前には、じたばたするより、心を静める方が、普段の練習の力を発揮しやすくなる場合も多いと思います。

 私が人前で話をする時は、場合によっては、直前には何も準備をしないことがあります。具体的には、原稿が全くなく、聞きに来た人の雰囲気や、受けた質問に合わせて、普段から考えていることをお話しする場合あります。臨機応変というと偉そうなのですが。

 こうしたパターンの場合は、特に、お話を始める前に、うまくやりたいとあれこれと考えるよりも、心が静まっている方が重要だと思います。その結果として、その場にいる人たちとのつながりの中で、自ずと脳裏に浮かんでくることを表現できれば、それが、自分では一番良い状態だと感じます。