心の安定のための人生哲学 第19回
怒りを超える③ 近親憎悪
今回は、怒りの原因として、近親憎悪を取り上げます。
自分の怒りの対象は、当然、自分とは異なる、悪いことをしている存在だと私たちは考えます。
しかし、心理学の一部には、怒りの対象は、実は自分の暗部を投影した存在であり、特に激しい怒りは、そうである、という理論があります(影の投影:ユング心理学など)。
わかりやすく言えば、人間は、普段見ることを避けている自分の暗部があって、その暗部を投影したような他人を見ると、強い怒りがわく、ということです。
構造としては、
1.自分のある欠点について、普段からそれを強く嫌悪して、
見ることを避けており、その結果、忘却している。
2.他人に同じような欠点を見ると、その欠点は、普段から
見たくないほどに嫌悪しているので、強い嫌悪が生じる。
ということです。
これは、ある意味で、恐ろしいことですね。
たとえば、二人の人がいて、他人から見ると、どっちもどっち、どんぐりの背比べなのですが、その二人は、同じことで、相手を批判している場合があります。
そして、当人たちは、自分たちが似ているとは決して認めません。どこかで、それを感じているのかもしれないが、それを認めることを強く拒絶します。
キリスト教とイスラム教は、長年の間、対立してきました。十字軍、植民地侵略、オスマン帝国、近年の中東戦争やイスラム過激派など。
ところが、この二つの宗教は、どちらも自分たちが最高の宗教であるという点や、聖戦を唱える点でよく似ていると指摘されています(「文明の衝突」というベストセラーのある著名な米政治学者、サミュエル・ハンチントン氏など)。
実際に、双方とも、旧約聖書に由来する宗教であり、兄弟姉妹のようなものです(実際に、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、アブラハムの宗教としてまとめて扱われる場合もあり、これは、旧約聖書のアブラハムに由来しています)。
こうした自己の暗部の投影、近親憎悪として、怒りが生じる原因は何か。それは、先ほども述べたように、自己の暗部を見ることができないからです。
それは、単純に言えば、自分の悪いところを見たくないというプライド、自尊心の問題と言うことができますが、もう少し複雑な場合もあると思います。
それは、その人の卑屈・コンプレックス・自己嫌悪が強い場合に、さらに起こりやすいと思います。そうした人は、自分の暗部を見る強さ・余力がないともいうことができるからです。
こうして、卑屈・コンプレックスが強いと、自分と似た他人に対して、強い怒りが生じるということができると思います。
さて、突き詰めると、この問題は、怒りの本質とはいったい何なのか、という点に行きつきます。
怒りとは、本人は、相手が悪いと思っているのですが、深く突き詰めると、相手が悪いというよりも、相手がずるい、と思っている場合が多くあるということです。
そして、これを理解すると、いっそう自分の怒りの背景に、自分では気づきにくい近親憎悪の構造があることが理解しやすくなります。
これについては、次回にくわしくお話ししたいと思います。