ホテルを出て、最寄り駅から、電車に乗り込む。

数駅先で下車。

ココ・K市は、
私にもTくんにも全く土地勘のないところである。


Tくんの生まれ故郷Y市
また私が以前親といたことのあるF市ならば
土地勘はあるが、

親が私たちの行き先として想像するところは避けたかったのだ。

K市でとりあえず昼食をとりつつ、話し合う。

Tくんがサクラえびのチャーハン

私がサクラえびのオムライス

桜えびの塩味が、疲れた身体にしみて美味だった。




あのN市の古ぼけたホテルから、K市までの道のりはこれまた
記憶に無い

どうして食い物のことばかり、覚えているのだろう?
私、根っから食いしん坊なんですかね…。


彼氏Tくんは、ほんとスーパーヒーロー。

私が親に初めて反抗し、自分の意志を伝えることが
出来たのも彼のおかげだし、家を出ることができたのも
Tくんさまさま。

しかし、そのTくんをキケンにさらしてしまった私であった。


ほんとは、当初の家出計画では…

Tくんには陰でささえてもらい、
私が家出の意志を親に伝えて姿をくらまし、
Tくん宅に避難。

Tくんが関与した証拠はないので
親の追究にはとぼけてもらい、そのまま同棲。



だったんだけど、


私が親にいったん追いつかれたせいで、
Tくんが家出に手を貸してるのバレバレ

Tくんは殴られ首を絞められてしまう。

その上Tくんのご母堂の反対により、
すぐ同棲は無理っぽい


ことになってしまった…。


私はK市の隣町であるS市のビジネスホテルに泊まることにして、
ここでTくんは自宅アパートに帰った。


ここからは、彼からの伝聞だが。




私が号泣し、対決のため病院へ向かった日の夜のこと。

Tくんが思いきり目撃されてしまったために、私の両親
T君の実家にTEL。

「Tくんが娘をたぶらかして連れ歩いている!
どうしてくれるのだ!!」


などと、激怒したらしい…。
↑私が自分の意志で家を出ますっていうのが、全然伝わってない!


Tくんのご母堂は、私の両親に怒鳴られて責任を感じ、

出掛けた彼が私を連れてまた戻って来ると思い、

夜通しアパートの前に仁王立ちしてたのだそうである。

親が合い鍵で娘の下宿に入り放題だったうちと違って、
まあTくんのアパートがカードキーで複製がつくりにくいという
事情もあったんだろうけど

息子の部屋の合い鍵を持たなかった彼のご母堂は、
息子の帰りを夜空の下、待ち続けていたのだとか。

10月のこととはいえ、夜は冷え込んだだろうに。

母の愛って、つよい

大事な息子さんが、こんな厄介な女とつきあっていてすみません…

と後に聞いて思った。




その日はTくんは私とよそに泊まったので、アパートに
帰らなかったわけだが。


私が安全なS市のビジネスホテルで部屋のタバコくささに悩んでいる
間も、Tくんは私の両親&自らの家族と対峙しなければならなかったので
ある…。
AD
え~、現在の出来事でございます。


先日は、とあるアダルトブログから
「美味しそうな女子校生」なるトラックバックを

一夜にして27件!

も送られました。


9月に投稿した記事、全てにはっつけてくれました。



アダルトブログらしいので、お仕事のスパムを送るのも
お仕事の一環なのかもしれないですが、送られた方は
いやなもんです。



「女医風呂」というのは、やはりアメーバブログでブログを
始める際に、カリスマといえばこのブログなあのブログ…

「実録鬼嫁日記」

みたいな一目でどんな日記かわかるタイトルにしたかった
んですね。

現在の私は医業に就いてはいないんですが、
一応医師免許の返上はしていないので「女医」、

アメーバブログの愛称が「あめぶろ」=「飴風呂」らしいので
女医ブログ=女医風呂
と名付けたんです。

でも、女医が風呂に入ってる…
みたいなエログだと、タイトルから思われちゃうことも
たまに…。



ここはエログぢゃありませんよ~~っ!
とスパムブログに声を大にして言いたいわたくしでした!!


明日は引き続き、私が仮の宿を決めたのち、
Tくんちがたいへんなことになっちゃっていたお話を
公開いたします…。
叔母と離れて夜のN町をさすらう私とTくん。

このとき、どこをどう行ったのか、
不思議と私の記憶は欠けてしまっている。

覚えているのは、泊まった場所のことと食べた食事
くらいのものだ。

疲労の極致か半ばもうろうとなった私は、
ふらふらTくんについて歩いていたのだろう。




夕飯にしようと入った一見のソバ屋
Tくんはソバ、私はうどんをたのんだ覚えがある。


店主は我々が食べおえそうなころテーブル席にやって来て、
「おかわり、サービスだよ。」
とTくんのどんぶりに大量にソバを足していった。

我々はよほど悲壮な表情を浮かべていたのだろうか、
それとも店主の気まぐれなのか…

叔母に援助を断られて
(カンパはちゃっかりもらってきたけれども…)
憔悴していた私たちには、店主の気遣いがありがたかった。



そしてその日は、ラブホテルですらない場末の小さく古い
ホテルに、泊まった。

なぜなら2人で泊まっても5000円程度と、そこは宿泊料が
安かったのだ。


古ぼけた外装には似つかわしくない、真っ赤なじゅうたん

ミロのヴィーナスの安っぽいレプリカetc.、ちぐはぐな調度品。

「奈良」「京都」「ベニス」「パリー」などという謎の部屋名。


そんなものはよく覚えているのに、叔母の家からソバ屋、この宿と
どう移動したのかは、さっぱりと頭から消え失せているのだった。

親との決別は、数年経った今でも一語一句覚えているのだが。
記憶って不思議だ。

宿にチェック・インして、かろうじてシャワーを浴びて、
けしてきれいとはいえないシミだらけの天井を見つめていた
私たちは、明日の計画を練る間もなく泥のような眠りに
おちていった…。

(つづく)


p.s.これは現在のこと。

改めて文字におこしてみると、私の生まれ育った家庭というのは
かなり異様な家で、
その話をなぜTくんはすんなりと信じてくれたのか、
不思議になったので本人に尋ねてみた。


「こんなへんてこな話、なんで信じてくれたの?」

彼の答は…


「高校生のころのあんたって、
ちっとも笑わないし異常な感じだったもん。
この人の育った家じゃあ
そういうこともあるかなと思った」


……

ってTくん…

高校生のころの私はそんなに変人でしたかっ!!

自分ではわからないけれど、そんなものかなぁ…

ちなみに、一緒に暮らしだしてから、初めて私が
声をあげて笑ったりしたので彼にはそのことが感慨深かった
そうです。