4 ワタシトカイボウ

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精神的には落ち着いたのに、真夏の気温は厳しかった。

人体というのはタンパク質と脂肪の集合体なので、
暑さの中でどうしても避けられず腐敗していく。

設備が時代物のせいかエアコンはしょっちゅう止まる。

ゴム手袋の中に汗で水がたまるほど、気温と湿度は上昇していく。

ご遺体管理責任者の指示に従ってご遺体全身をホルマリンに浸し、
終了時にも追加し、さらにホルマリンに漬けた布で丁寧に全身を巻いた。

その上からさらにまたホルマリンを丁寧にそそいだ。

なのに、黒や黄色のカビのようなものが出てしまった。



何がいけないのかわからなかった。

これが夏でなければ。

せめて秋であれば。

うだるような真夏でさえなければと何度思ったことだろうか。

その苦しみと申し訳ない思いを、医学を辞した今になっても昨日の
ことのように思い出す。

メアリー・ローチの著書を読んで、アメリカにおける秋冬の実習を
うらやましく思ったのはそのせいだ。真夏3週間の追実習では、
毎日朝の8時半から9時には着替えて解剖室に入室、
昼間控え室にいったん退きカロリーメイトなどをかじる以外は
夜中19時すぎ、最後のひとりとなってカギを返しに行くまで
ひたすら実習にはげんでいた。



適切な態度とは言い難いことを承知で告白すると、
ご遺体に感情移入するあまり私は夜帰宅しておさらいしたのち就寝すると、
今解剖中のご遺体と

「痛くないですか。そうですか。
 もう少しで腕の剖出を終了しますから、がんばりましょうね」

などと会話しながら実習する夢をたびたび見たりしていた。



全ての追実習・試問合格時、私にはホルマリンアレルギーという、
おみやげがのこされていたのであった。新築には住まず、
衣料やリネンは洗濯をした後でないとさわれない。
家具売り場には近づかない。
博物館にも近づかないなどの注意をすればなんとかやっていける。

解剖や病理で日々ホルマリンを扱いながら発症しない人もおられるので
もともとの体質もあるだろうが…。私が他の学生よりも長くホルマリンに
暴露していたので発症したのかもしれない。

しかし、やはりこれが夏でなければ。

あれほど、腐敗を防ぎたい一心でバシャバシャと湯水のように
ホルマリンを使わずにすんだかもしれない。

そして、個人の勉強の程度問題の側面もあるが、
専門課程でいの一番に解剖実習を行うと、学年が上になって
勉強が進むにつれ各部位6日間という区切りに追われるのではなく
とことんこの部位の仕組みを知りたかった…と実感することが多く
なった。


やる気のある者は研修医となってから、業務の合間をぬって
解剖教室に通うなどの自習をするなどしていた。

しかしそれはごく一部の医者に限られていた。



篤志を受け取るために、もっと合理的な解剖実習
システム・カリキュラムがあるのではないか…?との疑問から
このような一連の記事を書かせていただいた。



しかしここであったことは全て数年前のこと。

今では1年から実習が始まる大学も多いと聞くし、
もしかしたら初夏ではなく、春や秋になっているかもしれない。

これは仮定だが、もしも今もK大で夏に解剖が行われているならば、
冬の方が合理的に学習出来るとの思いから季節を変更していただき
たくも思う。

解剖のおもひで・完
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おもひで・3

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解剖がつらいつらいと描いているが、
けっしてご遺体への感謝がなかったわけではない。

実習をさせていただけるのは献体という篤志があってこそのこと。

畏敬の念を持ちながら、医学の徒のはしくれとして心を
こめて実習させていただきたいと思った。

なのに、ごく一部のクラスメートの実習中の言動に私は揺れ、
打ちのめされた。



言われた冗談が何かは書けない。




だが衝撃だった。

私が献体した身であれば、また関係者であればゆるせないと想像した。

でもその発言をしたクラスメートに注意など出来るはずもなかった。
監督者である講師の方々は、ひととおり巡回を終えると解剖室を
出て行かれる。いつもそのあとに私がショックに思うことは起こった。
苦々しいのに注意出来ない、なぜなら私はみなに迷惑をかけた
学年一番のオチコぼれなのだもの。心で泣いてそう思うばかり。


実習を終えてよろよろアパートに返ると、何時間もの間、
それこそ電話がかかってきて我にかえるまでずっと湯船に浸かって
放心していたりした。




真夏に行われた再解剖では、下痢止めと解熱鎮痛剤を毎日ぐびぐび
飲んで実習にのぞんだ。この時はみな真面目にもくもくと作業する
ことが多く、私は精神的にとても楽になり、だんだん薬をガブのみせず
とも実習に赴くことが出来るようになった。


先生のいないすきに軽口をたたくような学生はみんな正規の実習時に
パスしていたので。普通の学生がふつうに出来ることが私に出来る
ようになるまで、倍以上の時間がかかったのだ。



この時の解熱鎮痛薬濫用がたたり、私は今でも市販の感冒薬を
いっさい飲めない。服用するとアレルギーを起こして全身に発疹が
生じてしまうのだ。体の不調をクスリの力で抑えようとして、
毎日服用していたのが悪かった。自分の無思慮な行動のせいとはいえ、
困った体質になってしまった。

(もう1回つづく)

2.もしや、心身症…?

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学校行こう、がんばろうと思うのに気持ちだけが上滑りしていき、

体が重く苦しくなる。

のどが絞められるように呼吸が苦しくなる。

食べ物と関係なく起きる、しぼりあげるような腹痛と激しい下痢。


これが解剖実習のある日の朝にのみ起こる。

…なんか、世に聞く登校拒否みたいだ。
私は、ひょっとして、解剖がいやなんだろうか?!

あんなに学びたかったはずなのにどうして??

当時、私が実習をたびたび体調不調で休むことで、
私と組になった班員の2人に多大なる迷惑をかけた。
しかも他の班は4人ずつの組だったのだが、うちの班は
終わりの方だったので、3人組。

それで私が休むと2人で実習を進めねばならない。
カウンセリングなどを受けにいくべきだったのかもしれないが、
(事実学生健康相談センターではカウンセリング部門もあった)
当時はその選択肢を思いつかず一人で悩んでいた。
親からはがんばれ、意気地なしと叱咤され、

ひどい迷惑をかけてしまったクラスメートからは学校やめちまえ
とも言われた。私のせいで負担をしいられるのだから当然の言葉だ。
それでも、私はあきらめが悪く実習に出たり休んだりを繰り返した。
半ばごろからは朝になると発熱するようになり(精神的なもの?)
やはり出たり休んだりずるずるとクラスメートに迷惑をかけ続けた。


気持ちは学びたい。

なのに体がついてこない。

もどかしくきつい日々だった。

実習は出席をとることがあまりなかった。そして体育会に
入っている学生が多いため、部活の試合など体育会行事の際には
実習を休む人が増えた。部活で実習を休むのはかまわんが、
体調がよくないなどは甘えにすぎないというムードがあり、
私の焦りもそのころ最高潮になった。

解熱薬と止瀉薬を飲み、なんとか実習に駆けつけても、
手先の不器用さもあってか、よれよれと私の動作はのろかった。

「おまえが休むから進まない!」

というクラスメートの怒声はなんとか薬の力で出席できるように
なってからは

「おまえがのろいからダメなんだ!」

に変わった。そして、解剖学試問の日。
ご遺体を前に口頭試問を受ける。

その前に私は解剖学教室を訪ね、言い訳にしかならないが
ずっと続く心身不調を告白し、
初夏に行われる正規の試問を辞退、
全身の追実習をやらせていただきたいと申し出た。



全身の追実習というのは前代未聞であったらしい。




私がそもそもの原因ではあるのだが、同じ班の男性2人は
休みまくった私に怒り心頭だった。彼らが部活で休む間、私は
脊椎骨の縦断など力と時間が必要な作業を「やっといて。」と
言われひとりで行っていた。


私は試問は受けないけれど、今まで突然休んでは2人に迷惑を
かけたのだから、がんばらなくてはと思ったのである。

(つづく)