近所の図書館でCDコーナーの通りすがりに「そうだ!」と、ふと思い出したことがありまして。

Eテレ「らららクラシック」の、今年年初めの放送で取り上げられていたマリオ・デル=モナコ、

その歌声を思い出して、CDがあったら借りてみようと思ったわけです。


元来、オーケストラものばかりを聴いてきていて、

歌ものやピアノ、室内楽はおきざりのままに長い年月を経てはきましたけれど、

ようやっと管弦楽作品以外にも食指が動くようになってきつつある。

そんな中で、往年のテノール歌手マリオ・デル=モナコの名前こそ知ってはいるものの、

全く意識したことのない存在だったのですね。


そんな声楽におよそ耳を持たない者にでも、

先の放送で触れたマリオ・デル=モナコの歌唱は「うおおお!」と思うほどに圧倒的。

このほど借りた「オペラ・アリア集」を聴きながら番組を反芻し、

何がそんなに凄いと思ったのかを考えてみたのでありますよ。


「マリオ・デル=モナコ オペラ・アリア集」


まず第一にはやはり「声」でありましょうね。

デル=モナコの歌声は「黄金のトランペット」とも呼ばれたそうなのですけれど、

輝かしさ、強靭さはまさにではあるものの、尖った感じが全くしないという点で

トランペットの印象とは異なるものであると思われます。


個人的には鼓膜が敏感(実際には神経が通ってないでしょうからイメージですが)だもので、

とりわけ声楽の高音において、ともすると耳を覆わずにはいられないケースがあるのですが、

デル=モナコの場合にはどんなに張りのある声が迫ってきても鼓膜を直撃することがない。


これは何とも不思議に思えるところなんですが、

先の番組でテノールの村上敏明さんが真似て?みせたように

声が「面」でもって迫ってくるので、「点」で来るような尖鋭さが無いことによりましょうか。


そして、この「面」で迫りくる感じと言いますのは、

普通は高音になればなるほど出すのが難しくなって声を張り上げる(その分、細る?)ところ、

デル=モナコは出力の大きいアンプのようにボリュームのつまみを調節するだけで

均質な音の音量調節ができてしまうといった例えに通ずるかもしれません。


そうした声でもって、もひとつ凄いのは演技でありましょうか。

よく坂東玉三郎の舞踊に感心してしまうことを書いたりしてますけれど、玉三郎の凄いところは

役柄に割り当てられた振り付けをこなしている(ようするに演じている)のではなくして、

本来は芝居の役でしかないその人物(人ではないこともありますが)になり切って、

もっといえば「なってしまって」いるということなのですよね。


実はそれと同じようなことがマリオ・デル=モナコにも言えるのかもしれません。

先の番組でも紹介された1961年のイタリア歌劇団公演での「道化師」、

これは今回借りたCDの解説でも触れられるほどに鮮烈な印象を残すものとして語られますが、

確かにVTRで「衣装をつけろ」を見てみれば、もはや迫真の演技ということではなくして

目の前にいるのはまさにカニオ(「道化師」の主人公です)なのだと思えてしまうのですから。


借りたCDにも別の録音による同じ場面が収録されていますけれど、

番組で紹介されたVTRほどには凄さは伝わってこないのですなあ。

これはデル=モナコが生粋のオペラ歌手、舞台人であったということでもありましょうか。


声や役柄の印象とは異なるものとして紹介されていた、実際には繊細な一面。

劇場の暗く大きな客席には何百という聴衆の目があることに緊張したりもしたようなのですね。

ですがそれだからこそ、そうした来場者との真剣勝負に自らを奮い立たせて、

劇的な場面をたくさん作りだしていけたとも言えるのかも。


これまでオペラ公演や声楽のリサイタルに、数は多くないとしても出かけたことがある中では

瞬間的に「うおおお!」と思ったことが無かっただけに過剰反応かもしれません。

そのうちどこかで不意打ち的に現代の「うおおお!」に遭遇することを

楽しみしておこうと思っておりますですよ。



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