…ということで、福島に行っておりました。
見て回るメインであったのは福島県双葉郡浪江町でして、
町の半分は福島第一原発から半径20km圏内、
半分は放射線が北西へと流れた延長線上にあって、
今でも全町避難の状態が続いているのですね。
先の大震災で東日本の、特に海岸線一帯は激甚な被害を受けましたけれど、
この5年余の間にさまざまな復旧工事が行われていて、
人の心はそれと同歩調をとりはしないものの、それでも周囲のようすが変わることで
復興に向けて動き始めているところはあるのではなかろうかと。
それに対して、浪江町のように全町避難を余儀なくされているところは復興のしようがない。
だから他はよくって、福島は酷いでしょと比較する問題ではありませんですが、
明らかに福島の特殊性はあるなということなのですね。
浪江町へ向かう途中の飯舘村でも除染作業が続けてられていましたですが、
除染ではがした表土を詰め込んだフレコンバッグが山と詰まれている。
一見、のどかな山里のあちらこちらにフレコンバッグの山、山、山…です。
除染作業がひと通り終われば、かつての住民に「帰ってこいよ」と言うのでしょうけれど、
この山が連なる場所を心安らぐ我が家と思えというには無理があるのでは。
中間貯蔵施設なる場所(差し当たり原発直近の双葉町、大熊町)に移すにせよ、
差し当たりの除染作業は例えば道路沿いであれば道の両脇10mの範囲で、
山林部分は手をつけずということでもありますし。
車の通りはそれなりにあるように見え、コンビニエンスストアが一軒開業中なるも、
それはもっぱら除染作業員向けでもあるようで。
こうした飯舘村にも季節の移り変わりは何事もないかのように廻ってくるわけですけれど、
これを愛でる人々が自分たちの暮らしを取り戻せるのはいつになるのか、
想像もつかずにただ立ち去るのみでありました…。