町田市民文学館「ことばらんど」というところで、
宮沢賢治 に関する展示をやっておると聞き知ったものですから、行ってみたのですね。
賢治の童話や詩に登場する「鳥」に焦点を当てた「宮沢賢治 イーハトーヴの鳥たち」という
企画展でありました。
元々、宮沢賢治は「宗教家であり、科学者、教師、農学者、ナチュラリストでもあった」わけで、
なかなかのマルチタレントぶりなのではなかろうかと。
昨今の個人的関連からするとゲーテ の多方面に亘る博識を想起するような。
賢治の場合、分けても科学の面では
小さい頃から鉱物採集やら星の観察やら昆虫の標本作りやらとさまざまに関心が深い。
そうしたベースがあって作りだされた童話や詩に登場させた動物は169種に及ぶのだとか。
そして、こと鳥に関しては71種が登場しており、哺乳類やら魚類やらといった他の動物と比べ
最多登場回数を誇るのだそうでありますよ。
賢治が鳥に寄せた思い。
その辺りを展示解説から少々引かせてもらうといたしましょう。
…大空を自由に飛びまわり、美しい声でさえずる鳥に魅了され、願いやあこがれを託して童話や詩に多く登場させました。そして、鳥の〈飛ぶ〉〈鳴く〉という二つの特徴を、作品の重要な場面で効果的に描いています。
…というような思いで賢治が鳥たちを登場させた作品の数々、
具体的にはこうしたものがあるようです。
- ヒバリ 「おきなぐさ」
- カワセミ 「やまなし」
- ツル 「まなづるとダリヤ」
- ガン 「雁と童子」
- ヒヨドリ 「鳥箱先生とフウねずみ」
- トキ 「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」
- カラス 「烏の北斗七星」「双子の星」
- カッコウ 「セロ弾きゴーシュ」
- フクロウ 「二十六夜」「林の底」 などなどなど…
他にも有名どころでは「銀河鉄道の夜」には、
サギ捕りが出てきたり、白鳥の停車場が出てきたり(こちらはむしろ星座がらみでしょうけれど)。
ともかく、いろいろとありますですね。
で、その鳥にのせるメッセージですけれど、例えばフクロウは
ミネルヴァの使いとして「賢者」のイメージ(老賢者か?)がかなり定着していて、
洋物に詳しい賢治もギリシア・ローマ神話あたり、お手の物だと考えると
やはりそうした一般的なイメージをなぞる感があるような。
「二十六夜」に出てくるフクロウの坊さんは
人間から酷い目にあった仲間の復讐を叫ぶフクロウたちに対して
「人を恨むんでない」と諭す説教をする役回り。
また「林の底」でフクロウは旅人に「とんびの染屋」の話を語ってきかせ、
旅人を感心させたりもするという。
(「とんびの染屋」は鳥の体色に関する話で、賢治の郷土に伝わるという。面白いです)
一方で、賢治独特の使い方というのもあるわけでして、
およそ一般に定着したイメージのないヨタカを主人公にした「よだかの星」は
賢治らしさが横溢するところではなかろうかと(ヨタカを賢治の故郷では「よだか」というそうな)。
ヨタカ(夜鷹)は夜行性で、飛ぶようすと鳴き声が鷹に似ているところからの命名とのことですが、
「よだかの星」にも「タカのきょうだいでもしんるいでもありません」と賢治が記しているとおり、
実際の分類上は鷹とはおよそ関係がないらしい。
だもんですから、話の中でヨタカはタカから、
「お前のような醜い鳥がタカを名のるのはおこがましい。名を変えろ」と迫られたりするという。
これだけでもヨタカは悩みまくるわけですけれど、
ある時ふと夜空を飛び回り、小さい虫を捕食しておりましたときに
やおら虫の命に思いを馳せてしまい、さらにもだえ苦しむところに落ち込んでいくのですね。
自分はこの世でこのまま生きていっていいものか…。
ヨタカが取った行動は空高く高く飛んでいって星になってしまおうということ。
誰の迷惑にもならないように。
「いじめ」の問題があちこちで取り沙汰される現在にあっては
おいそれとは語りにくい内容とも思われますけれど、
このヨタカの立場にあって、とる行動が賢治の中で変化していったとき
「雨ニモマケズ」の方向へと向かうことになったのではないでしょうか。
ちなみに「よだかの星」では、ヨタカがタカの仲間ではなして
カワセミやハチドリ(賢治はハチスズメと書く)の兄弟であると言われていました。
これまた現在の分類上は別ものということになるものの、
今と異なって大正時代には仲間として分類してあったそうな。
ちゃあんと賢治は確認したのかもしれません。
ハチドリ(賢治的にはハチスズメですが)にしても、
日本にはいないことの鳥を、賢治は東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の展示で見、
その美しい姿に魅せられたのだとか。
お話に登場させたくなってしまったのでしょうね。
とまあ、細かな視点でもって眺めていけば、それだけの発見があるのだなと思わせられる
宮沢賢治展でありました。


