いやあ、ブルーバックスを手にとったはいったいどれくらい前になりましょうか。
「科学をあなたのポケットに」がキャッチコピーのブルーバックスですけれど、
それとて科学に疎いものには敷居が高かったりするのでありますなあ。
ですが、このほど手にした一冊はこてこての自然科学とも言い切れないものなだけに、
また広い読者層を想定したかもしれぬ著者のおかげもあってか、
たいへんに面白く読むことができたのですね。
題して「川はどうしてできるのか」でありました。
川はどうしてできるのか?って、雨が空から降れば(と、これは小室等の歌のタイトルですが)
地面に落ちた後、水は低きに流れるわけで山から平野へと流れ下り、やがては海に出る。
この流路が川でありましょう…と思うのですが、どうもそう簡単な話はないようで。
本書第2部の「川を下ってみよう」では、多摩川の流れを上流から河口まで辿りながら、
川のあれこれが語られますけれど、源流の源流まで突き詰めて行くと分水嶺に行き当たると。
多摩川の場合には、奥多摩にある笠取山に分水嶺を示す三角錐の標識が立てられており、
三角形のどの面の側に降った雨かによって、多摩川へ流れ込むことになるのか、
荒川かはたまた笛吹川(富士川に通ずる)のいずれに流れ込むことになるのか、
分かれ道なのだとか。
こうしたところからどんどん流れ下って川らしくなり、
やがて海にたどり着いておしまい…ではないんだそうですね。
海にたどりついてもなお低きに流れ続けるのだそうで、その流路を海底谷というそうな。
なんだってそんなことが分かるのかといえば、
海底谷というくらいですから、陸地でみる谷のように削られていて、
ここには川から流れ込んだ土砂が低い低い方へと運ばれて行くからというわけです。
で、最終的には無茶苦茶深い海溝へと向かうというのですが、
何千、何万、何億年も地球の活動の中で土砂が海溝に降り積もっていったら、
堆積物で海溝が浅くなってしまうではないか…と思うのは、どうやら文系人間の浅はかさ。
最深部のか海溝とはもはやプレートが沈み込む接合面でもあって、
流れてきた土砂は堆積することなく、プレートの沈み込みに合わせて地球の内部に取り込まれ、
やがてマグマの原料ともなって火山の噴火とともに再び地上に戻ることになる。
この巨大なサイクルの中にあって、川は川ならでは働きすべく存在している。
科学的な言い方ではありませんけれど、まさに「あるべくして川はある」てな感じかと。
こうしたことでも、すでに「ほぉ~」と思ってしまってますが、
細かい部分で言えば「なぜ富士山には川がないのか」というあたり、
昨年ちょうど三島の柿田川湧水
を見に行きましたから、溶岩の質の関係で
富士山の表面に川がないかわりに伏流水となって、
三島近辺に湧き出していると知ってはいるものの、
このような地下水が「地球上のすべての河川を流れる水の量と比べると、
約4800倍にもなる」と聞けば、やっぱりここでも「ほぉ~」と。
また、先ほど触れた海底谷ですが、
最終的に海溝部まで流されていく土砂の類いは積らないと言いましたけれど、
流れる力に対して重さの方が勝っていてば、部分的には途中途中で堆積するわけでして、
例えば相模湾の中央部には富士山を凌ぐ高さで積った堆積物があるのだとか。
実はこの堆積物は、やがて中に含まれている有機物が変化することで
石油や天然ガスといった天然資源に変わっていくといいます。
それでは相模湾でも石油が出るのか?…とはまたしても浅知恵でありまして、
長い長い年月と同時に並大抵ではない量が必要であるようですね。
ですから、石油の場合、アマゾン川の河口にあたるブラジル沖とか
ミシシッピ川の河口にあたるメキシコ湾、そしてチグリス・ユーフラテス川の注ぐペルシア湾といった
大河に近い辺りでたくさん発見されるわけで、
一番長い信濃川でも367kmの日本周辺で石油発見とはどうにも難しそうでありますよ。
ところでちと余談めきますが、これも「そうだったのか」と思ったことでして、
あちこちでよく見かける「一級河川」といった表示のこと。
北関東には利根川という大きな川が流れており(といっても、日本規模でですが)、
これが「一級河川」との看板を背負っている時には「いかにも」と思うわけです。
しかしながら、同じく北関東(に限りませんが)で周りが田んぼであるようなところで
ちょろちょろと流れる農業用水かも思われる川に出くわし「一級河川」と表示されていて、
「なんで?」と思うことしばし(すぐに忘れるので調べることなく今に至る)。
たまたまこの本の中に出てきたので「そうか」と思ったですが、
ようするに「一級河川」とはひとつの川のことを指すのではなくして、水系単位だそうで。
ですから、利根川は元より、これに注ぎこむ川の全て、支流も含めて利根川水系として、
これを一級河川に指定しているということなのですね。
ですから、田んぼのそばを流れる小川に一級河川とあれば、
「お前もやがては大きな大きな流れの中に注ぎ込むのだね」と温かい目で見てやれば
いいわけなのですなあ。
…と言うことで、ブルーバックスを避けてばかりいるというのは、
実はとってももったいないことなのかもしれないと思うに十分な楽しみを
提供してもらえたのでありました。