今年2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」50話が全て終わりましたですねえ。
終わったところでその話を持ち出すのも今さらながら…とは思いますが、
ちらりほらりと振り返って思いついたことなどを。


これは何も今回の「軍師官兵衛」に限ったことではありませんけれど、
基本的にあまりTVを見ない者にとって、

昨今の大河ドラマは「この人、誰?」という人ばかりが登場するのでありまして…。


要するに役者として知らない(そも役者であるかどうかも知らない)だけに、
その他の活動がどうとかいう先入観なしに役柄として見るわけですが、
今回の石田三成は史上最高に「にくたらしい」人物になっていたのではなかろうかと。


かくも強烈な印象でやられてしまうと、
一歩引いて冷静に考えてみるべき歴史認識を誤る虞すらあるような気がしましたですよ。


主人公たる黒田官兵衛役は辛うじて知っておりましたですが、
偏にドラマの「木更津キャッツアイ」(それのDVD)で見たことしかありませんので、
同じドラマに友人だかで出て来た人物が子の長政付きの武将(又兵衛)として

出て来たときにはいささか口あんぐりでありました。


そう言えば、かなりキャスティングに年齢のムラがあったように思うのですが。
最右翼は寺尾聡演じる徳川家康 でしょうか。


はっきり言って、信長健在の頃からすでにお爺然としているわけで、
ようやくしっくりくるようになったのは、最後の方ではなかろうかと。


ところで、家康のあの右目は役作りだったんでしょうか。
一度だけ、拳でぐいと拭ったかと思うと、かっと見開いたことがありました。


そうそう家康と言えばですが、セリフでちと気になったところもあったですね。
大老筆頭として家康自ら陣頭に立ち、上杉景勝を誅するべく東国へ下った関ヶ原前夜のこと。

井伊直政が家康のもとに駆け付け、「三成が罠に掛かりました」と注進。
これに家康が「動いたか…」とか何とか応えるシーンです。


先ほど触れたように三成ばかりが嫌な奴に見えては片手落ちではないかとも思うわけで、
このシーンでは家康の腹の中のずる賢さを示すためにも、
井伊直政には「三成が動きました」、応える家康にぼそりと「掛かったな…」と
セリフの内容を反対に言わせる手もあったやに思われますね。


と、三成と家康の見せ方はともかくも、一方で黒田官兵衛の見せ方がどうであったかと言えば、
これはやっぱり主人公だからということもありましょう、実にお得な役どころになっておりました。
最後の方で天下を狙うという野心を見せるのも、無理のないようなことになっていたでしょうし。


ですが、歴史的な立ち位置としては、坂口安吾が官兵衛のことを書いて

「二流の人」と題しているあたりが一般的な見方なのかもしれません。


前のブログにも書いたことがありますけれど、

この「二流の人」というタイトルをそのままもらって
海援隊(坂本竜馬のでなく、武田鉄矢の)が歌を作っているのですよね。


その中の一節には

一番の歌詞に「せめて百日、関ヶ原、続いておればこの天下、俺のものにしていたものを」、

二番には「せめてひと月、関ヶ原、続いておれば博多から、大阪、京まで攻め上る」、

こんなふうにあるののでして。


ちなみに、この二番の「博多から」というフレーズは、

関ヶ原の論功行賞で黒田長政が筑前博多に入るものの、

それまでの官兵衛の本拠は豊前中津でしょうから、ちと先走ってしまった感あり…でしょうか。


それはともかく、才気に走った黒田官兵衛孝高は正攻法というよりは

火事場泥棒的に天下を狙ったわけですけれど、

三成側が余りにあっけなく負けてしまったことによって目論見倒れに終わる。

そんな官兵衛の辞世の句が、ドラマ終了後に紹介されてましたですね。

思ひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて

この「なるにまかせて」の達観状態を反映して、ドラマで臨終の床にある官兵衛に

「悔いが全く思い浮かばん…」みたいなことを言わせたのかとも思いますが、

そこはそれ、才が廻り過ぎて秀吉に疎まれる側面もあった官兵衛だけに

自分の生涯を終えるにあたっては、己が身の歴史叙述への残り方をも計算していたかも…。


夢は破れたものの、天下に覇を競って退けられていった多くの敗将が埋もれていくなか、

あえて(信長、秀吉、家康に次ぐ)二番手として記憶される位置を確固とさせておこうてなことを

考えたとすれば、超一流の「二流の人」ではありませんでしょうか。

最後の最後まで、策士であったのではなかろうかと。