新潮選書の一冊「漢字世界の地平」という本を読んでみたのですね。
「私たちにとって文字とは何か」という副題がちと気になったもので。
たぶん広い範囲の読者を意識してか、文章は平易に書かれていて、
取っつきは決して悪くないのですけれど、だんだんと「Are you with me?」の状態になってくる。
多分に読み手側の問題とは思いますが、読み終えてどこまで付いていけたものやらと思うことしきり。
ですので、直接的に内容に関わることというよりも、
読みながら頭に浮かんだ由無し事を書きつくることといたします。
日本最古の歴史書は「古事記」(最古の書物となると聖徳太子による「法華義疏」らしい)ですけれど、
これは712年に編纂されたもので、文字としては漢字が使われておりますですね。
しかしながら、漢字は余所(中国)で作られたものを借りて使うようになったわけで、
5世紀頃には日本で漢字が利用されるようになり始めたようです。
さきたま古墳群の稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣」に記されている文字などは
使用例としては早い方なのでありましょう。
ところで、漢字が伝わる以前に日本にも何かしら文字はあったとも言われます。
はっきりはしていないようですが、もっぱら祭祀の関係に使われたそうなのですね。
そう考えると、漢字の起源とされる中国の「甲骨文字」と似たような出自というか、
似たような必要性から生まれたものかもしれません。
何かしらの占い(卜占)に関する記述をするための甲骨文字は、
中国の人たちの話す言葉(中国語)をそのままに記述する目的で作られたものではない、
甲骨文字から漢字へと変化して行く中で、話し言葉を書きとめるために必要な文字も
加わっていったようなのでありますよ。
つまり、最初期の文字は話し言葉とは別の書き言葉として存在していたということなんですが、
(先の本では前者を「音声言語」、後者を「書記言語」をしておりました)
これだけでも「ほぉ~!」と思いますね。
文字というのは、元より口から出る言葉を書きとめるためにできたんだろうと
勝手に考えておりましたから。
で、甲骨文字から発する文字文化はやがて音声言語とのリンクを強めていったわけですけれど、
どうも日本の昔々のあったらしい祭祀の文字は、
もしかすると音声言語との関わりを深めることなく埋もれてしまったのかもしれないですね。
で、5世紀頃に伝わってきた漢字を日本でも文字として使用することになっていくわけですが、
これも昔々の発想として音声言語と書記言語が緊密にリンクしたものとは
考えていなかったことによるとも考えられましょうか。
シナ・チベット語族に属する中国語とアルタイ語族に分類されたりする日本語では
音声言語としての仕組みが異なりますから、音声言語と書記言語のリンクを気に掛けていたならば、
おそらくはもっと別の文字形態の方が日本語を書き表しやすかったのではとも思います。
漢字という文字を使用するにあたっては、先の「古事記」でもそうですが、
万葉仮名というかなりやっかいな使い方にならざるを得なかったわけですし。
漢字の導入を通じて日本語が中国語化していったとするならば、
記述に実に座りのいいことになったと思いますが、漢字には音読み、訓読みがあるように
中国風の読みをする場合と本来の日本語的読みを当てはめて使う場合とあるあたりにも
端的に不自由さが現れているような気がしないでもない。
その後に日本独自の文字として平仮名、片仮名を生みだして補完していったのは
当然の流れでもありましょうし、かなり画期的な対処法だったようにも思われます。
今日でも、特に片仮名は外来語との関係において、非常に便利に使われていますから。
(もっとも、便利すぎて多用される傾向もありますが)
ところで、導入当初にさぞやっかいであったろうと思われる漢字を、
5世紀頃の日本人は何故使うことにしたか…ですけれど、
やはり当時の先進文化は中国からもたらされていたことによるのでしょう。
先も触れたように中国語と日本語は音声言語としては似ていないながら、
漢字という文字の共有は中国の先進文化を受け容れ易くしますし、
文字を媒介して意思疎通も可能になるという点が何よりのメリットであったのではないかと。
そこで、漢字には文化的先進性=高尚なものといった見方をするような傾向も生まれるのか、
男社会だった昔々は漢字を男文字、仮名を女文字といったり、
江戸期の寺子屋でもとにかく学問は漢文素読であったりしたのかも。
音声言語の日本語はタミル語起源などといった説もあるようですが、
音声言語と書記言語のリンクを重視していたならば、
もしかして現在の日本人はタミル文字を使うことになっていた…てな歴史もあり得たのでしょうか。
どんな日常になっていたろうか、想像もつきませんけれど。