「みなさま、一日間のごぶさたでした」と往年の名司会者ではありませんが、
都心のホテルに一泊して戻ってきました。
一滴の汗が浮かぶこともなくして一夜ぐっすり眠れることが
これほどに幸せなことと感じるとは…でありますなぁ。
年老いた両親には、都心のホテルに泊まるくらいなら慣れた家にいた方が…
とも言っていられないのが今日この頃の夏でありまして、満足しておったようす。
取り分け何年かぶりでプールで泳いぐのにつきあった親父殿には尚のことかと。
と、そんなお泊まりにあたっては、暑さ故にあんまり連れ回すこともできないし、
両親にとってもメインは居酒屋での乾杯とカラオケとは分かっていても、
少しくらいは別のイベントがあってもいいだろうと連れていったのが
(いささか不便なところですが)中野区立歴史民俗資料館でありました。
「音の文化~暮らしの中の音」という企画展を開催中だもので。
中野区のお知らせに曰く、本展の内容はこんなふう。
時を告げる鐘の音、物売りのラッパの音、夏の涼を演出する風鈴の音など、人々はこれまで音にいろいろな意味を持たせて、生活の中に取り入れて来ました。それが、街並みや暮らしぶりが変化することに伴い、人々をめぐる音の世界も大きく様変わりしています。 本展では、当館が収蔵する音の出る道具や機械を通して、人と音の関わりを時代の流れと共にたどります。
これを見て、例えば金魚売りの呼び声とか豆腐屋のラッパなどなどの「音」を
聞かせてもらえるのかな、そうならば年寄りにはさぞ懐かしかろうと思ったですが、
残念ながら展示がメインで音の方はあまり出なくて…。
ですが、訪ねたときにちょうどやっていたギャラリートークの最後に、
奥の方から引き出されてきた手回し式の蓄音機でSP盤の音を聴くコーナーがありました。
まずは童謡「おさるのかごや」が、想像に難くない「カシカシ、シャリシャリ…」という音の中から
聞こえてくるのを、その場の一同が神妙に耳を傾ける。
続いてはいかにも昭和歌謡といった曲が流れたところ、
父親がニヤッとしたものですから、「この曲、知ってんのか?」と聞けば「美空ひばり!」と即答。
これにはこの曲を掛けた資料館の人も「掛けた甲斐がある」と思ったところでしょう。
後の話になりますが、夕食後のカラオケでは母親がこの曲を歌い出したりしたとなれば、
両親ともどもまずまずのお楽しみにはなったようでありますよ。
さて、両親のことはともあれ、展示の方ですが、
先にも触れたとおりにあれこれの「音」が聞けなかったのは残念なところながら、
「ほぉ~」と思う内容にも少々出くわし、そのあたりを書き止めておこうと思うわけです。
まずはこのポスターでありますけれど、左側の「オヂラ」が「ラヂオ」のことで、
右側の「取聴朗明」が「明朗聴取」であると、若い人はピンとこないのかも。
時代を感じさせますですね。
で、肝心なのは右側の縦書き部分でありまして、
「ラヂオは許可を得て聴きませう」と書いてあります。
最初の頃は、ラジオを聴くにも許可が必要だったんだぁねと思ったわけでありますよ。
何でもかつてラジオは「聴取無線電話」と呼ばれていたようで、
受信機(要するにラジオですね)を設置するにあたっては
(昔のラジオは大型で、なるほど「設置する」って感じでありますね)
国の通信局の許可を申請して、許可されるともらえる「聴取章」というのを
玄関に打ちつけておかねばならなかったのだそうです。
でもって、最もびっくらこいたのが次の説明文であります。
昭和43年(1968)までは、ラジオを聴くには、聴取料を払わなければなりませんでした。
「そんなこと、してたのかなぁ…」と思ったわけですが、
これはラジオ放送一般に関して聴取料というものが取られていたと理解したからでして、
後から冷静に考え得ると、確かにNHKラジオは聴取料の支払いがありましたですね。
ですが、1951年以降に民放ラジオ局が次々開局する中、こちらは無料であったはず。
あくまでNHKの受信料は払っていても、
それがラジオ放送全般に対する聴取料との意識はありませんでしたから、
おそらくは展示の説明文が舌足らずなのでしょうね、きっと。
ということで、続いて別のポスターを。
「ラヂオ体操の會」ポスター三連発!
ラジオの普及と国民の健康増進を図るものでありましょうけれど、
これほど根付いたものは他にあろうかというくらいではなかろうかと。
ラジオの普及はすでに通り過ぎて、TVに移行してしまったかもですが、
ラジオ体操の会は今でも夏休みになると、
子供たちが学校の校庭や近所の公園に集まってやっているのではないですかね。
(集合時間は6時半より緩くなってる気がしますが…)
それにしてもこのポスターですが、絵柄が妙に社会主義っぽい…。
旧ソ連の労働者の体操?とも思ったりしたですが、
そっちはもそっとデザイン的に洗練されてますので、
泥臭さの点では朝鮮半島の北側あたりを思わせるような。
時代の雰囲気として「国民一丸となって」的な様相だと、
こんなふうになるのかもしれませんですね。
最後にポスターから離れて、全くの別物の写真を。
エジソンが発明した蝋管式蓄音機、見えにくいですが真ん中に「Edison」と書いてあります。
先に触れた蓄音機はSP盤を掛けたと言いましたように、
エジソンとは別に、エミール・ベルリナーが生み出した円盤式蓄音機でして、
レコード盤をかけるという点では今のステレオ装置に直結することが分かりますが、
こちらはどうも…。
今でこそステレオと呼び名は変わってますけれど、
基本的には音楽再生装置との位置づけであることは一貫しているのかと思うと、さにあらず。
展示解説によれば、エジソンは発明当時、こんな用途を思い浮かべていたようです。
- 速記の必要がなく、手紙、口述筆記に使える
- 目の不自由な人のための音の本になる
- 話し方の教育に使える
- 音楽の録音・再生
- 家族の記録として、声や遺言を録音
- オルゴールや玩具になる
- 帰宅時間や食事時間を教えることができる
- 発音を正確に保存できる
- 教師の講義を録音、ノート代わりとしてタンゴの記憶用
- 電話での通話を永久保存できる
「話し方の教育に使える」と言ったあたりは、「マイフェアレディ」を思い出すところですが、
多くの機能は今では違った形で実現されている気がしますですね。
それでも、エジソンでよく引き合いに出される「必要は発明の母」との言葉の、
「必要」の部分をよくよくエジソンは考えていたのだなぁと思いましたですよ。
とまあ、当初の思惑とはずいぶんと違ったところで「ほぉ~」と思った
中野区立歴史民俗資料館の企画展示でありました。